The Journey : Somewhere Down The Road 諸事観察
大自然は薬の宝庫
2008 / 11 / 02 ( Sun )
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この花はツルニチソウという植物です。
この種の一つでバラ色のツルニチソウ Rosy Periwinkle が熱帯雨林に生息していますが、この植物から見つかったビンクリスチン vincristine という化学物質は、主に子供が犠牲となる急性白血病 acute leukemia の治療薬となります。
1970年代半ばまでは4人に1人しか助からなかったものが、この物質の発見のおかげで4人に3人の子供が助かるようになりました。

多くの熱帯植物は実に驚くほど多様な、医学的利益を提供する化学物質を含んでいて、他にも何千という薬が熱帯植物から見つかっており、今後も多くの薬が見つかる可能性を持っています。
熱帯雨林保護の重要性は、人間の命に意外なほど直結しているのかもしれません。




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ホメオスタシス
2008 / 10 / 25 ( Sat )



人体は実に巧妙で合目的的なホメオスタシスをもっている。
環境の変化に対して恒常性を維持しようというその機構は、個々人によって多様なセットポイントを有している。セットポイントは生理的範囲内で時間をかけて修正され、決して不変ではない。たとえば降圧剤の持続的投与による血圧自己調節範囲の低下や、高地における低酸素環境での慢性的アルカローシスに惹起されるヘマトクリット値の増大などがその例だ。


あるいは、人の心もホメオスタシスをもっているといってもいいだろう。
プラス思考とかマイナス思考とか言うが、突然考え方や感じ方を変えようとしたって、環境が不変であるなら結局のところ各人それぞれの恒常性セットポイントに戻っていくものだ。環境からの変化の要請がない以上、良くも悪くもこれまでどおりの方がリスクは少ないエネルギー効率もよいのだから。

ホメオスタシスが必要な理由は、環境の変化や疾患でもたらされるちょっとした体内循環や組成の変化が生命維持の基礎をたやすく揺るがしてしまうからに他ならない。生命というのは確かに結構丈夫ではあるが、それもホメオスタシスが十分に機能しているからに他ならず、それなしには生命というのはいとも容易く崩れてしまう。

人の心も同じように、心のホメオスタシスがあるからこそ精神的活動は維持されるし、だからこそ人の心は変わりがたい。さもなければ人の精神はたやすく崩壊してしまっているだろう。
かくして心というものは日々の思考や感情のバランスや性質の変化を良しとしない。精神的環境の変化や刺激が不可避的となって初めて、心もそれに合わせて変化する。

とはいえ、人の場合大脳新皮質が飛躍的に進化している。これはホメオスタシスをつかさどる脳幹の上位に位置しているし、ここにおいて意識的・知識的な変化を形成することはホメオスタシスの縛りを受けないかもしれない。
しかしやはり本当に自分を変えたい、生まれ変わりたいと望む時、それは脳幹レベルの性状の変化、本能レベルにおける生に対する意欲や感性の変化をこそ望むものだろう。
だからこそ、如何に心のホメオスタシスに働きかけるか、改善するかということを考えていなければならない。



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ディメンション
2008 / 10 / 20 ( Mon )



すべての宗教の根源的な問いは
”Things are not really what it looks like
 物事はみかけ通りではない”
”There are more to this life, this world
 人生には、世界には今こうして知覚されるよりもっと深遠なものがあるのではないか”
ということだという。

人間社会の何一つとして絶対的なものはない。
社会の仕組み、世の中の仕組み、人間関係の仕組み…
すべてはある時ある人の便宜に沿って生産・発起されたものの集積にすぎない。

誰かが自分を罵る時、誰かが自分をバカにする時、
自分がひどく惨めな時、物事がうまくいかないとき、
改めてその苦しみの妥当性を考えてみるといい。

この世界は人間が発生するはるか以前より悠久の時を経て営まれている。
人間の考えなど到底意味をなさないような多様な次元性をもっている。

限られた寿命の有機的生命体であるヒトがどれだけ私という存在を否定しようとも、それはいかなる時空的な普遍性をも持ち得ない。時間的・空間的な広がりと変遷は、ちっぽけなヒトの慢心や憎悪にいかなる有意性も与えない。
あるいはヒトがヒトを階層づけたとして、それはいかなる自然科学的妥当性をも持ち得ない。

世の人は人工的で錯誤的な次元の中に閉じこもっている。
社会という次元、世間という次元、流行という次元、文化という次元、セックスという次元、言語という次元、時代という次元…
ある次元に長く居続けると、より一層吸い込まれていく。
そうしてある次元でしか物事を見れなくなった人は、結局のところ浅はかで理解力のない子供と変わるところはない。
結局のところ、先に他人の考えたことの中でしか考えられない人間ばかりが増えると、その思考の枠は小さくなっていくしかなくなる。
人々の生きる次元に人間しかいなくなり、何でもかんでも他人の意見や価値観が氾濫するこんな時代では、人々の心の自由がどんどんむしばまれていく。


物事はみかけ通りではない。
人生には、世界には今こうして知覚されるよりもっと深遠なものがある。
次元の枠を外してみよう。




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クレジット 2
2008 / 10 / 19 ( Sun )


クレジットの形成・維持・強化にかかる人々の試みは多様である。
しかしそれらはおおよそ主に二つのベクトルに区分される。

一つは、クレジットの純粋な形成・獲得である。
その手段はすなわち行動である。
自らの行動により、主体的にクレジットを形成していく。
その試みは個人の生き方、そして社会の歯車の駆動力となる。

もう一方は、クレジットの相対的な形成・維持・強化である。
その手段は情報および思想の形成・流布・教化である。
これはマスメディアの規模的技術的増長による形態的多様化により、一層そのウェイトを増している。そして情報化社会において、情報の衝突が著しく増大し、一層激しさを増しているところでもある。
その中でももっとも一般的な手段の一つは、誹謗中傷である。
他者のクレジットを損なうことで相対的に自らのクレジットを高めようという試みが、人間社会のあらゆるところで行われている。しかしそのような手段で形成・維持・強化されるクレジットは実体を欠く性質のものであり、やがてサブプライムローンの如く自他共に混迷に陥るものである。

自慢や誹謗中傷などで口先でクレジットを操作しようとすることは容易い。しかし口先で生じたものはまた、口先で容易く滅ぶ。剣によって立つものが、剣によって滅ぶように。
つまるところ、クレジットは自らの日々の行動において築き培うべきものだろう。





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