The Journey : Somewhere Down the Road - 200612

よく生きていくためのことば


処世訓的なことばをまとめていきたい。
※ここに紹介する言葉の多くは伊福部隆彦編著『名文句・殺し文句』によっている。


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この世に生きる最高の術は、

妥協することなしに適応することである。
―ジンメル

<所感>
「智に働けば角が立つ。
情に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。」 〜『草枕』 (夏目漱石) より
 世の中は得てして残酷で不条理である。社会を泳いでいくためには、たとえ不本意でも自分を抑え隠して、適応していくことが不可欠である。しかしそこで負けて妥協することで、自己を殺してしまったり、堕落してしまったのでは人として生まれてきた意味がない。
 知力と精神力を尽くして、自己を損なわず周囲も損なわず生きていく『適応力』こそが生きていく秘訣なのだ。




苦しんで強くなることが、いかに崇高なことであるかを知れ。
―ロングフェロー

<Cf.>
 働いて待つことを学べ。 ―ロングフェロー
 "Without pain, without sacrifice, we get nothing." ―映画『ファイトクラブ』より




不信の友は、敵に如かず。
―シェークスピア

<所感>
 誠意のない者を友としておくべからず。
 獅子身中の虫は躊躇せず懐から遠ざけるべき。




正しい行為と、真の考えとは、
それを行ない、これを抱くごとに、その人の容貌風采に美を加える。
―ラスキン(1819~1900)

<所感>
 現代社会がまさに必要としている言葉ではないだろうか。
 財布の中身や地位、持ち物や外見といった表面的なものにしか価値を見出さない浅はかで残酷な人のなんと多いことか。
 思いやりのある言葉遣いや礼にかなった立居振る舞い、慎ましさと道徳を尊ぶ人のなんと美しいことか。
<Cf.>
 マダムよ、美は単に眼だけを楽しませる。
 だが気質のやさしさは魂を魅了する。  ―ヴォルテール




偉人は誠実である。
―エマーソン

<所感>
 世間ではいろんな『偉い人』が取り上げられては持てはやされる。しかし幾多の嘘とごまかしと、私利私欲のための争いとにまみれた彼らの中に、真の偉人を見出すことは難しい。
 この社会では、多くを知り多くを理解するほどに、誠実でいることが辛く難しくなる。
 それでも誠実を貫いたものこそ、本当の偉人であると私は信じる。





徳は香気の如し、これを砕けば益々香し。

―ベーコン(1561~1626)

<所感>
 普段紳士ぶっているからといって彼が本当に立派な人間とは限らない。
 本当に立派な人間は、艱難辛苦の逆境にあっても、いよいよその徳の高さをあらわす、そんな人である。




楽しげな顔は、一皿の食物をも宴会に変える。
―ハーバート

<所感>
 悟りを得た仏像が一様に穏やかな微笑みを湛えているのは、それが幸せに至る真理であるからだろう。
<Cf.>
 顔は精神の門にして、その肖像なり。 ―キケロ




光ったナイフは、草原の中に捨てられていても、
いつか人が見出すものだ。
―清沢 満之

<所感>
 たとえ現在周囲の人に認められていなくとも、そのことで不平や愚痴を言っても何の足しにもならない。そんな不遇の中にあっても絶えず自己の修養と研鑽にはげんでいれば、いずれ誰かに大切にされるもの。




その善は褒めよ。しかし、その悪は語るでない。
―戦国策

<所感>
 人の悪口や不平、愚痴は滅多に言うものではない。自分の為にも他人の為にも。
<Cf.>
 「友よ、こんなささいな事件にかかわってみても、いつもながら経験することだが、世の中のいざこざの因もとになるのは、好策や悪意よりも、むしろ誤解や怠慢だね。すくなくとも、前の二つの方がまれなことはたしかだ。」 ―『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)より
 悪口雑言は教会の行列のようなものだ。必ず、出発したところに戻ってゆく。 ―ヴィンセンツ・モンティ
 ひそかに不平を持たずに、悪人となった者はいたことがない。 ―ラムブラー




自分に命令しないものは、いつになっても、しもべにとどまる。
―ゲーテ

<所感>
 自分の欲望を抑え、まわりに流されず、道徳的に生きること。
 そうした独立自尊で慎みある精神をもってこそ、真に自由な人間となる。
<Cf.>
 多くの人は嗜欲の主人とならずして、その奴隷となる。 ―ガンジー




流行とは、我慢の出来ない醜さの一種である。
だからこそ、われわれは半年ごとに流行を変えねばならない。
―ワイルド

<所感>
 日本人は殊に流行に依存しやすい気質がある。ある留学生は、「日本ではファッションにしてもライフスタイルにしても価値観(the way they think)にしても、基礎がまったくなってないから流行にばかりしがみつくような人たちが多い。」と嘆息していた。要は『個人』が未熟ということだろうか。
 流行に振り回される人生は無駄が多く、決して美しいとは言えない。




神はうつろな容器を見出したもう時、
そこに祝福を入れたまう。
―ヒルテイ

<所感>
 いかなる時も、貴賎を問わず、欲望や我執をはなれ謙虚な心を持つものには必ず祝福がある。まことに、心の貧しい人は幸いなり。
<Cf.>
 江海が、よく百谷の王となるのは、よく流れ下るからである。 ―老子




河深ければ、水なめらかに流る。

―シェークスピア

<所感>
 浅薄で内容のない人物ほど騒々しく、自分のことを過大に言い立てる。
 思慮深く、聡明で度量のあるひとは、大河のように物静かに生きる。しかしそれでいて、いやだからこそ、偉大な事業を成し遂げることが出来る。




生きていれば、物事は変えられる。
―映画『I am David』より



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悲しみ〜受け容れること

あるとき、私にとって世界は悲しみに満ちていた。
私が小さい頃のある時期、悲しみこそが物事の本質に見えていた。

悲しみは時に美しい。それは美に通じる。
悲しみのまったくない人間は不幸であるとさえ言えるようだった。
悲しみのアンチテーゼは快楽だと思った。快楽を貪る者は醜い。
真に悲しめる者こそ、強い者なのだと思った。

憎しみを悲しみに変えるとき、赦しが生まれる。
赦しが行われたとき、愛となる。
恐れを悲しみに変えるとき、祈りとなる。
悲しみを受け容れて、やさしく生きてゆく。
そんな人に、私はなりたいと思った。

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己の御者とならんために

 人々から優しさやモラルが失われていくような世の中、ぽっかりと空いた心の風穴を埋めていくように滲み出すのは不安や憎しみや怒りなのだろうか。
 ここに書くのは、これまで幾度も人や社会の不正や汚さや理不尽を思っては怒りを抱き、己を省みず己や周囲を害った、この愚かな自分自身に対する戒めである。

 参考としてアルボムッレ・スマナサーラ著『怒らないこと』を読ませていただいた。
 後半の抜粋はすべて中村元訳、ブッダの『真理のことば』から。
 彼らの偉大な教えに感謝する。




 


人はみな幸せに生きたい。
それなのに人の世にこうも苦しみが多いのはなぜか。
多くの人々が、偽りの享楽に耽りながら静かな絶望を生きている。

幸せとは何か。それは心に暗い感情がないこと。
暗い感情とは何か。それは日ごろはっきりと感じるものでなくても、不安なときや退屈なとき、理解できないものに出くわしたときや、落ち込んだときやどうでもいいと思うときに感じる心のわだかまりであったりする。
強いものになると、それは怒り、憎しみ、嫉妬、恐怖となりたちまちに燃え上がる。

人はなんと怒りやすいものだろう。
町を歩くとき、電車にのるとき、話をするとき、遊ぶとき、仕事をするとき、人々はどんなささいなことでもここぞとばかりに、実に器用に怒りをまき散らす。
怒って良くなることなど、ありはしないのに。

性質の悪い人は実によく怒る。
彼らは他人に心の毒をなすりつけたくて仕方ない。
そうして自ら蓄えた毒が、やがては己が身を害うことも知らずに。

人は知るべきだ。
怒るのは自分のせいであると。
怒る人は、小さくて弱い負け犬であると。
怒りは臆病と低脳と無知から生ずると。

手もつけられないほどに怒って見せる人は、怖くてたまらないからだ。
相手に自分の言い分を落ち着いて論理的に諭せないのは、知能が低いからだ。
すべての怒りのなかに隠された、自分は偉い、自分が絶対に一番で正しいという考えは大いなる無知だ。

貪瞋痴
とんじんち、すなわち貪欲、瞋恚(怒り)、愚痴(愚かさ)の三毒に気づかないものは過ちの炎を燃やして止むことがない。
なかでも、怒りは善根を根こそぎにする。
一度生じた怒りは、それまでのすべての善も美も徳も燃やし尽くす。
忍辱
にんにく(耐え忍ぶこと)の心をもって怒りの火種を消すことあたわざれば、心の善と平安は決してない。

怒りに打ち克つ人は、自分の心を曇りなく知る。
怒りに打ち克つ人は、美しく光る水晶玉のように、己の心から世の汚れをたやすく拭い落とす。
怒りに打ち克つ人は、智慧によって勝つ。
怒りに打ち克つ人は、笑いと明るさを失わない。
怒りに打ち克つ人は、勝ち負けに執着せず、やるべきことを精一杯する。
故に、怒りに打ち克つ人は幸福である。

どんな罵りや憎しみや嫉妬や恐怖にも打ち克ち、怒りを抱かない人は実に偉大な勝利者である。




 怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言にうち勝て。

 落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ、ことばをつつしみ、心をつつしむ。このようにかれらは実によく己をまもっている。



 戦場の象が、射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、われはひとのそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質(たち)が悪いからである。  

 馴らされた象は、戦場にも連れて行かれ、王の乗り物ともなる。世のそしりを忍び、自らをおさめた者は、人々の中にあっても最上の者である。



 「かれは、われを罵った。かれは、われにこんなことを言った。かれは、われにうち勝った。人をしてわれに打ち勝たしめた。」という思いをいだかない人々には、ついに怨みがやむ。

 実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以ってせば、ついに怨みのやむことがない。堪え忍ぶことによって、怨みはやむ。これは永遠の真理である。  

 怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みのないことによって静まるであろう。怨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は、怨みをつくらない。



  もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、おもいを落ちつけて、共に歩め。

  もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。  愚かな者を道づれとするな。独りで行くほうがよい。

 孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。  ――林の中にいる象のように。




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Also see:
ブッダ 感興のことば―憎しみ
ブッダ 真理のことば―象

童子のことは棄てたり


全きものの来たらん時は全からぬもの廃らん。

われ童子
(わらべ)の時は語ることも童子の如く、
思ふことも童子の如く、論ずることも童子の如くなりしが、
人と成りては童子のことを棄てたり。

今われらは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり。
然れど、かの時には顔をあわせて相見ん。
今わが知るところ全からず、
然れど、かの時にはわが知られたる如く全く知るべし。

―コリント人への手紙 13:10〜12 (文語)

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 自分が今なぜそうあるのか、そうしているのか、そう感じているのか、そう考えているのか、そのように恐れているのか、真に理解することはできない。
 どこまで考えても主観的なものであり、自分の抱く精一杯の客観性すら自己の知識と環境的条件に拘束された朧な鏡に過ぎない。
 その中から真実の姿・本当に価値あるものと、過ち・幻惑とを見出すには自分でその人生を生きていくしかないでしょう。

 今現在のわれわれが童のことを棄てたように、過去と現在の自分のことを棄てていかなければ人は変われず、前には進めない。
 今の私の執着、偏見、恐怖、憎悪、慢心、不安、後悔、嫉妬…やがて新しく全き自分になるためには棄てなければいけないだろう。命はかくも短いのだから。
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