The Journey : Somewhere Down the Road - 200705

Imee Ooi − 黃慧音的仏教聖歌

Imee Ooi オフィシャルサイト
http://www.immmusic.com/index.html

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最近の注目の人です。
一言で言うと、お経を聖歌の域に高めた人でしょう。

この Imee  Ooi さんのことを知っている人は日本にはあまりいないのではないでしょうか。なにか参考になればと思います。
彼女はマレーシアの華僑で、中国名は黃慧音といいます
。マレーシアには仏教徒の中国人が多く住んでいるそうで、彼女も間違いなくその一人でしょう。

驚かされるのは、彼女の作る歌のバリエーションです。
歌の言語は北京語、広東語、パーリ語、サンスクリット語、チベット語、英語と多様でいて、すべて大変流ちょうで、何よりお経とは思えないぐらい、音楽的にもとても綺麗な構成に収まっていることにいつも感動させられます。
民族楽器をブレンドした美しい音色と、愛らしい中国語やサンスクリット語のマッチングはまさに癒し。

例として以前紹介した映像があります。般若心経のサンスクリット唱歌です。
ちなみに映像はファンのつけたもので、Imeeさんの歌とはあまり関係ありません。




他の試聴可能曲



般若心経 − 北京語バージョン
http://www.immmusic.com/product/music/imm1002.mp3
般若心経 − 広東語バージョン
http://www.immmusic.com/product/music/imm1012.mp3

サンスクリット聖歌
http://www.immmusic.com/product/music/imm1011.MP3
薬師如来真言 (サンスクリット)
http://www.immmusic.com/product/music/imm1020.mp3
文殊菩薩の知恵 (サンスクリット)
http://www.immmusic.com/product/music/imm1019.mp3

Jayamangalagatha (パーリ語)
http://www.immmusic.com/product/music/imm1001.mp3
大慈真言 (チベット語)
http://www.immmusic.com/product/music/imm1004.mp3



十一面観自在菩薩根本真言 (サンスクリット)
http://www.immmusic.com/product/music/imm1021.mp3
ニラカンタ真言 (サンスクリット)
http://www.immmusic.com/product/music/imm1003.mp3





公式HP以外でCDが買える場所




Chant of Metta - Imee Ooi


いじめに立ち向かうためのヒント 〜 Friends PR映像集

    以下で紹介するのはスウェーデンのいじめ撲滅団体"Friends"(http://www.friends.se/)によるCM映像です。いじめられっ子の気持ちを優しく見守るような、とても繊細な演技と音楽にこころ癒されます。「いじめ、かっこわるい」なんていうあくまで他人面したメッセージしか送れていない日本でも、是非このようなCMを流してほしいと思います。
    結局いじめを成立させるのは当事者だけではなく、それを取り巻く環境の、被害者に対する消極的あるいは暴力的な態度や無関心によっていよいよ、いじめられる子を追いつめてしまうもののように思います。

    私も過去にいじめをうけていましたが、そのときのことを思うと、いじめられている人にとって一番救いとなるのは、いじめの輪の外から、自分をかわいそうないじめられっ子としてではなく一人の対等な人間としてとらえて、自然に声をかけてくれたり、手を差し伸べてくれる人の存在だと思います。

    いじめという現象は突き詰めると、スケープゴートを求める権力、多数派集団によって一方的に形成されるいびつな『社会』であり、『システム』であると思います。いじめられっ子はその偏狭な『社会』に一方的に組み込まれて、そのシステムの中で「いじめられる役」が自明のものであるかのように言い聞かされ、思い知らされます。そしてやがてその『社会』の外の世界が見えなくなって、考えることすらできなくなってしまいます。
    そんな状態に長いこと縛り付けられると、やがてその人は自ずと卑屈で無力な自分のイメージを肥大させて、暗くゆがんだこころの持ち主となってしまうでしょう。

    まわりにいる人たちにできることは、いじめを生じている人々の輪=『社会』から断じて中立でいること。決して自分はその輪に入らず、むしろ進んでそういった『社会』の価値観やシステムを無視したり否定して見せてあげたり、できれば被害者に自然に声をかけてあげること。
    そうすることでさりげなく、いじめられている子に、いじめられることは決して必然ではないこと、世界にはもっといろんな人がいて、いろんな価値観があるということを分からせてあげること。そしてそれによって彼ら自らが自発的に自分の価値と可能性を積極的に認めて、いじめのシステムから堂々と歩み去っていけるように導いてあげることが、何よりの救いになると信じています。



・Friends #1 Rödhårig





    人と外見が違うことでいじめられる赤毛の男の子。 それを見た青年は、ある日自分も赤毛に染めてその子をそばで見守ります。
    いつものいじめっ子集団がやってきて、彼の赤毛をからかいますが、その横には同じような赤毛をした青年とその友達たちが毅然とこちらを見つめています。怖じ気づいたいじめっ子集団はすぐに黙って足早に去っていきます。
    男の子は赤毛に染めた青年を見ると、ほっと笑みを浮かべ、胸を張って帰って行きます。

    人と違うことは恥ずかしくない。
    ちょっとした行動の、さりげない優しさで救われる人はいっぱいいます。



・Friends #2 Osynlig




    学校で一日中、誰にも話しかけられず、相手にされず、無視される女の子。
    自分が透明のようで、心細く、孤独で悲しい。
    そうして食堂の誰もいないテーブルで一人たたずむ女の子の前に、同じく一人だけど毅然として明るい女性がやってきて、笑顔と共に一声「ヘイ!」とあいさつをして席につく。
    透明のようだった女の子はハッとして色を取り戻す。
    「私はちゃんとここにいるんだ。しっかりしなくちゃ!」

    無視されるというのは人間のこころにとって、最も残酷な仕打ちの一つです。でもそんな孤独なこころを救ってあげるのは決して難しいことではないはずです。
    たった一声の優しいあいさつと、曇りなく自然なまなざし。それだけでいいのです。



・Friends#3 - Hårda ord




    一日中、他の生徒や教師から、罵倒されたり心ない叱りをうけたりと、言葉の暴力にさらされる男の子。
    帰りのバス停に一人立っていると、二人の男の子がやってくる。
    「また何かいじわるを言われる!」
    びくついて顔を背ける男の子に、二人はただ「ハロー」とあいさつする。
    うん、とうなずいて顔を上げると、大きくため息をつく男の子。それまでのこころの痛みを全部はき出してしまうように。
    最後に出てくる文字は「言葉はあなたが思う以上に人を傷つける。

    人としゃべっていても、ともすればたやすく他人の悪口が華を咲かせる。
    少し自分がいらだっていたりすると、弱い立場の者に心ない言葉やののしりを平気で投げかける人は多い。
    でも自分にとっては適当に言った悪口が、相手を一生傷つけたりすることに気をつけよう。
    そして傷ついておびえている人には、さりげなく一声あいさつ。それだけでこころはだいぶ、救われます。


『留学で人生を棒に振る日本人』


留学ということを一度も考えたことのない人は、今時あまりいないのではないでしょうか。
かくいう自分もまだ選択肢に入れているつもりです。

しかし、私は高校の時に交換留学をしており、留学の厳しさというものを身に染みてわかっているし、実際むこうで留学ビジネスの嘘や矛盾をかいま見たり、留学崩れみたいになっちゃってる人をたくさん見てきたので、あくまで慎重に検討することにしてます。

で、今回読んだ「留学で人生を棒に振る日本人」(扶桑社新書)という本はそんな留学の怖さについて、留学カウンセラーの長年の経験から具体的に書かれていて、読んでよかったって思いました。
もしあなたが留学を考えているなら、小さい本なので一度は目を通しておくことをおすすめします。


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個人的に、留学で成功するには二つの道しかないと勝手に思ってます。
一つはエリートとして行くこと。つまり日本で培った学業的成果の過程・結実として、できれば推薦などをうけて、外国の名門教育機関に歓迎されて入ること。
二つめは、祖国を追われた難民並みの境遇に自分を追い込んで生き残りをかけて仕事や学業に励むこと。この場合日本人は豊かで快適な母国にいつでも帰れるという気持ちが大きな障害となるため、日本を発つときに家族・友人と絶縁していくのが好ましい。笑

ちょっと危ない留学は何かというと、「とりあえず行けば英語ができるようになるだろう」とか、「あこがれの外国生活をして羽を伸ばしたい」とか、「とにかく留学をしたら箔がつくだろう」といった感じの留学。
そういう心構えで行って何が待ちかまえているかというと、

・日本人同士でつるむだけの自堕落な生活。学業どころか英語力も長期滞在観光客どまり。

・もともと低所得者向けの職業訓練所の一種であるコミュニティ・カレッジや英会話教室に入れられて、低レベルの教育しか受けられず、まわりも無教 養・低所得者のスラム系不良外国人ばかり。下手をすると自分まで染められてスラムの悪ガキ・ビッチ系キャラとなって帰国。合い言葉は Hey Yo Wassup!

・日本人特有の内気さが克服できず、あるいはむこうのノリについていけず、まわりの学生とも没交渉。孤独と虚無感に精神的にまいってノイローゼ状態に。(実はあの夏目漱石もこれ)

などなど

自分はこういう人をバカにしているわけではなく、むしろ日本の大学で腐る人も大勢いるのに比べると、そういう生き方もなかなかおもしろいなと思います。人生どういう結果になろうと何かしら思い出や教訓がのこるものですしね。


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しかし問題は、日本人の英語・欧米コンプレックスから生じる、留学というものへの過度な期待や幻想というものがあって、ろくに考えもしないで”何 となく”とか、長年のあこがれから"とにかく"行っちゃう人たちや、それを悪用した詐欺まがいの留学業者によって、自分の能力や希望にかなった留学ができ ないどころか、ひどい目に遭って失意のなかで帰ってくる人がたくさんいるということ。

紹介した本でも強調されているけど、留学ってのは英語を勉強しにいくものではなく、英語”で”勉強しにいくものなんだということを、留学する前に今一度確認しましょう。
「英語は行ってからむこうの英語学校で…」って言ってたら業者の思うつぼで、日本人ばかりの低レベルな英語学校に入れられて金と時間を浪費することになるどころか、英語もろくにしゃべれず肝心の大学にもあがれずと最悪な結果におわることがよくあるそうです。

だからもし英語ができるようになりたいということなら、手っ取り早く留学しようとならず、日本でしっかりと勉強するべきでしょう。
今時ネットで世界中の文献やメディアをチェックできるし、それなりの本屋に行けば洋書も充実してます。映画だってDVD世代は英語の字幕でみっちり原語視聴できるんだし、わざわざ日本より不便な外国に行かなくても充分マスターできるはずでしょう。


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それと、英語をほんとうにものにしたいなら英語に対する過度なあこがれから目を覚ますべきでしょう。

だいたい、英語がしゃべれること自体は、赤ちゃんだってできるんだから全然すごくないし、日本にずっと住んでいて英語がしゃべれないことも別段かっこわるいことではない。
要は必要な人が勉強して理解できたりしゃべれたりしたらいいし、別にしゃべる相手もいないのにしゃべれるようになる必要はない。しかし理解はできるようになったほうがいいでしょう。今の世の中英語が分かれば断然自由と楽しみが増します。

日本には英語ができなくてコンプレックスを感じる人が多い。一方で、ちょっと英語ができるともうそれだけで自分が国際人のように勘違いして鼻高くしたり自慢したりと無理しちゃう人も多い気がします。
こうした風潮を助長するような日本のメディア、そしてそれに便乗して無駄に大量発生してる英語試験や資格検定は、よけいに日本人の外国語に対する態度を卑屈にしています。

周りを見れば、日本には至る所に意味不明、意図不明、場違い誤字脱字だらけな英語であふれています。
JPOPを聴いていると、この人たちはなんでそこまで必死に英単語を使いたがるのだろうと不思議になってしまう。もし洋楽を聴いていて、サビの部分に唐突に片言の日本語が飛び出してきたら笑っちゃわないでしょうか。
冷静になってみて、それを英語にする必要があるのか。ごまかしてるだけじゃないのかと問いたい。


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著者は、日本では英語といえば試験、つまり成績・評価をつけられるものだと反射的に身構えてしまうようになってしまったのが悲劇であるといいます。
英語を読んだり発言したりするとき、本当に重要なのはSVOの関係や正確さではなく、その文章の総体によって表される、作者の伝えんとする『イ メージ=コンテンツ』なのだということ。そのことをちょっと考えただけでも、[This is a pencil.]とかいう無意味な文章をさんざんこねくり回すところから始まる日本の英語教育がどれだけ狂ったものかわかるでしょう。

ちょっと話がそれまくったけど何が言いたいかというと、留学は英語だけを勉強しに行くものじゃない。英語さえできればというものでもない。しっかりと調べて、よく考えて、責任もって行きましょうってことです。

Sigh,,,


映画『Renegade』に見るシャーマンのドラッグ儀式


『Renegade』2004(仏題 Blueberry)
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    この映画、最初に言っておくとたぶん日本ではみるのは難しいです。
おそらく日本未公開で、ビデオ化されてません。だから海外から取り寄せました。
    あのヴァンサン・カッセル主演でジュリエット・ルイスも出ているのになぜ?ということで気になってみてみたくなりました。

    ストーリーは基本的に西部劇で、主人公は若かりし頃、愛する女性を別の男の乱入によって目の前で失うというトラウマチックな事件から、人里から逃避して山奥のインディアンにかくまわれて生活を共にしていました。
    そして現在は町のシェリフをしていますが、あの憎き男が近くのインディアンの聖なる山に眠る宝を追っていることを知り復讐の戦いを始めます。インディアンの幼なじみとはまだ深い交流があり、彼も伴って一行は聖なる山へと向かいます。

    ガンファイトありお宝レースありと一応西部劇らしくなってるんだけど、この映画の本質は、インディアンのシャーマンによるドラッグ・メディテーションなんじゃないかと思います。

    筋を言うと、主人公は若い頃からずっとこころに傷を負ってきた。そしてそれは憎き相手の方も同じだった。
    最終的に彼は幼なじみのインディアンに施されるドラッグを用いた(おそらくアヤワスカ)シャーマン儀式によってこころを癒し、自分を発見することができます。

    その儀式が見所で、すごい凝ったCG特殊効果で、ドラッグによる幻覚世界を表現しています。これを見せるために映画がついてるような気さえします。そのせいで日本には受け入れられなかったのかな。
見たい人はYoutube でどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=736NKsK86Uk&mode=related&search=





    シャーマンの幻視儀式にちょっと興味あります。
    もちろんドラッグは健康に悪いし、ドラッグに溺れたらそれこそ目の当てようもないことになっちゃうでしょう。
    ドラッグを、その毒性・危険性を鑑みず安易な快楽やスリルだけを目的に乱用することはなんとしても禁じなければなりません。脳や体、精神に損傷を与えるほか、下手をすると命まで落とします。
    しかし、麻薬も使用物質を厳選し、厳格な管理下で用法用量を守って、一定の様式、たとえば太古から行われてきたシャーマンの儀式のような形式に沿って厳かに執り行えば、人の精神を癒したり、創造的に’拡張’したりすることができる可能性もあるかもしれません。 むろんこれは暴論の一種ではありますが、何事も可能性について考えることまで禁じては進歩はありません。
    ここで肯定的な効果を認めうる麻薬とするのは、
ヘロインやコカインといった、麻薬中毒を生み出すべく商業的に生産流通され、強度の毒性・中毒性・後遺症の危険のあるものは断じて除きます。では麻薬とは他になにが残るかというと、広義に言ってみれば酒やたばこ、コーヒーも麻薬性物質の摂取がその消費の大きな動機・目的となっています。

    実際、これをドラッグの利と呼ぶかは難しいところですが、世のアーティストなどクリエイティブな仕事で知られる優秀な人たちの多くは創作活動のインスピレーションを得るためにドラッグを経験 しているし(無論麻薬のために命を落としたり著しく健康を損なうものが多いが)、今では常識のDNAの螺旋モデルを発見してノーベル賞をうけた科学者クリックは、発見時に幻覚剤LSDを服用していて、それが「見えた」のだ ということが死後公表されました。(生存中はパブでビールを飲んで酔っていたことにしていた) 
    このクリックの話を聞くと、猿が手を繋いでいたとか、蛇(ウロボロス)が自分の尻尾を噛んでぐるぐる回っていたとかいう「夢」で見て発見されたベンゼン環も、ドラッグやってたんじゃないのかと疑っちゃいます。



    LSDー25の実験で解明された、幻覚状態についてのおもしろいデータがあります。そこでは、被験者の脳波と精神状態が観察されました。
    被験者は一切の注意・集中力を失っているにもかかわらず、脳波上の停止反応(アルファー波ブロッキング)が現れました。これは目を開けて外部刺激に反応している状態や、目を閉じて暗算をするときにも現れる反応です。これは幻覚剤投与下の朦朧状態では本来起こりえないはずのものです。ところが現実にはこの不合理が発生しているのです。

    このような幻覚剤の不思議な作用に、トランス状態下でいわゆる神の国に旅立つ秘密が隠されていると、メソアメリカのシャーマニズムに詳しい精神医学博士の宮西氏は推測する。
    すなわち極度の注意・集中力は情動をせき止め、極度の情動はあらゆる注意・集中力を制止する。幻覚剤の刺激によっておこる情動とシャーマンの修行によって修得した高度の集中力の相互作用で特殊な精神変容状態が生じ、自我境界線が消失し、宇宙融合的境地にはいるというのです。そしてそこには宇宙融合という超時間的世界が確立されるのではないかといいます。
    幻覚剤の利用、瞑想やヨガおよび断食などの行為は、精神変容に至る手段と成り得る。その証拠に、いずれの方法によっても同様な脳内ホルモンの変化が生じることが最近の研究で明らかにされてきました。
※LSDは大変強力な幻覚剤なので、決して素人が用いてはならない。

    ある人は、ドラッグを用いたシャーマンの儀式によって見えるヴィジョン(=幻視)は実は脳内で異次元世界、神々の世界への扉が開かれるために見えるのだといいます。また、そこでは知的生命体と交信することもでき、未来のことや、人生の悩みやトラウマへの答え、未知の技術や知識のヒントを与えてくれるといいます。

    たとえば地上最強のドラッグといわれ、太古からアマゾンの儀式で用いられてきたアヤワスカという天然幻覚剤を、シャーマンの儀式で正しく服用すると、みんな同様に極彩色の世界に行き、絡み合う知的な蛇が出現し、他にワニやヒョウが現れるそうです。
    なぜみんなに共通してこれらの「生き物」たちに出会うのかというと、あるシャーマンは「みんな同じところに行くのだから当然だ」と言うそうです。

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Ayahuasca vision :Mariri
Fecha: Marzo 16, 2002



    またこのアヤワスカのセッションをうけると、人によっては過去の封印された記憶やトラウマがあたかも今起こっているかのように再現され、その試練に立ち向かうことでこころの傷を癒し、過去に向き合うことができたといいます。
    そうしてセッションがおわったときには、自分の人生と、すべての生命に止めどなく感謝の気持ちがあふれてくるように感じる人が大勢いるそうです。
    まあこういうのはただ単にハイになっているだけだとも説明できるかも知れませんが…それにしても興味深い体験だと思います。
他にもアルコール中毒が治ったとか、さらにはガンが治ったとか言う話まであります。
    さらに信じがたい話のついでに付け足すと、ハーバード大学医学部が実験でアヤワスカを定期的に施した結果、参加者全員にアルコール依存症が治ったり精神的にゆとりが出たりという治癒効果が認められ、IQが平均6ポイント上がったという。

    一方で、こうした幻覚剤の体験にはグッド・トリップのほかにバッド・トリップがあり、嘘や悪意にまみれて生きてきた人はバッド・トリップに陥り、地獄に堕ちるような恐怖体験をするそうです。
    それに、実際に服用する前には必ず断食などの行程を経なければならず、用量を間違えると命の危険もあるので素人が勝手にやっていいものでありません。
    なのでこうした儀式に参加するときは本当に真摯な気持ちが必要とされます。

    このアヤワスカなる麻薬植物はブラジルでは信仰の自由によりシャーマンの儀式で合法的に使用が認められており、ペルーでも体験できるそうです。
    ということで物好きな私はいつかどんなものか見てみたいです。ダッシュ(走り出す様) というのもこうした儀式のような精神的営みに敬意を抱き、精神の視覚化というものに純粋に興味があるからです。
    何度も言いますが、快楽やスリルを求めるためだけの麻薬の乱用には断固反対です。

    最後の最後に映画の話に戻って、この映画、大自然の映像も綺麗だし、幻覚体験がある以外は演技や演出もクラシック。ネイティブの存在感が自然でいて神秘的なところは、個人的にポイント高いです。音楽もいいできだと思うし、全体的にクオリティの高い作品です。
    はっきり言ってなんで日本でリリースされないのか理解できません。私は楽しめました。




参考文献
古代文化と幻覚剤―神々との饗宴

精神医学者が自らの体験によって幻覚剤文化の世界を解く。様々なドラッグの効果や歴史、その文化的価値と弊害をわかりやすくまとめてあって、興味ある人はおすすめです。




人類の発祥、神々の叡智、文明の創...

アヤワスカのとんでもネタが満載…。読み物としておもしろいです。


映画日記: 『ホステル』 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』 『リトル・ブッダ』

久々に最近見た映画の話でも。
ちなみに、ある程度映画の話の筋に触れることになるのであしからず。



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『ホステル』2005

まずさいしょに言いたいのは、この映画見ない方がいいということ。もう半端ないグロさ陰湿さ救いのなさに鬱になること必至。
あんな忌々しい映画はクエンティン・タランティーノもろとも永遠に海の底に沈めたほうがいいと思います。 笑
しかし最近はああいう過激なセックスと暴力が流行るんですね。もう続編が作られてます、この映画。

ただ、この怖さが宙に浮いているわけではなく、かなり現実的な恐怖を感じさせるに足ることは認めざるを得ない。
ストーリーの概要は、セックス天国という罠で釣ってきたバックパッカーをさらって、変態金持ちクラブの拷問商品にするという悪趣味きわまりない設定。
だけどもしこれが、資本主義の氾濫の結果として金さえあればいかなる悪徳や非道な快楽の追求も許されるという現代、そしてこれからの社会の闇の姿を比喩的な残酷描写で鋭く批判する意図で計算されて制作したというなら、一転してタランティーノさん、あなたは神様です。笑 
まあたぶん違うよね。これまでの作品見てみると、タランティーノはやっぱりただの残酷趣味の変態野郎です。爆



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『ヒストリー・オブ・バイオレンス』 2005

見終わった直後は、「ああまたか。最近よくある、言いたいことをはっきり言わない中途半端さ。”解釈は観客に委ねます”って鬼才ぶってんじゃねーよ!」と憤りを感じたものの、まあ頭を冷やしてみると、ある程度物語の意義というものも浮かび上がってきたような気がします。

平和がいい。戦争反対とか言うのは簡単だけど、暴力は常に正義とか道徳よりも強いのがこの世の悲しい定め。
だいたい安保闘争とかで軍国主義反対な平和の使者面しといてみんなやってたことはゲバ棒ふりまわして暴力的破壊デモしたり、果てには内ゲバリンチして銃もって山荘に立てこもったりしてたわけだし…。

あなたがどれだけ平和を愛していようが、暴力がやってきたら暴力でもって立ち向かうほかないというのがこの映画のメッセージだったように思います。

たとえばもし、暴漢が目の前で家族友人をいともたやすくいたぶり殺そうとしていたら、きっとあなたは、少なくともその瞬間、自分がそいつを秒殺できるような凄腕軍人や殺し屋だったらと望むでしょう。
先日の元暴力団籠城事件でも、もし日本の警察がもっと洗練された暴力機関であったならあそこまでだらだらと死傷者を出し続けることもなかったかもしれない。(かわりに犯人は殺されるかも知れないが…)

そんなふうに考えて見るとちょっとはおもしろいかも(?)
なんだかんだ言っても映画自体はイマイチでした。



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『リトル・ブッダ』1993

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※このレビューは先日の日記につけたものとほぼ同じです。
http://odysseia.blog54.fc2.com/blog-entry-54.html

この映画の概要はというと、チベット僧ラマの生まれ変わり、活仏の候補者とされた現代のアメリカ人の少年とその家族の旅路を描きながら、随所でシッダールタがブッダとなる物語を美しく壮麗な映像で綴るという、一風変わった映画です。

映画全体のトーンに赤・白・青・黄の色調が織り交ぜられているのは場面の空気を表現すると同時に、仏旗をイメージしているのでしょうか。
映画の本筋も心温まるお話だけど、やはり自分にとっての見所はシッダールタが悟りをひらくまでの物語を見事に鮮やかに映像化しているところでした。
キアヌ・リーブス演じるブッダが美しく輝いて魅力的で、こんな人が目の前に蓮花座組んで現れでもしたらひざまずいておがんじゃいます。さらに 「おまえに会うのは分かっていたよ」とか言われたら土下座して日頃の罪の許しをこうでしょう。そして「今までさぞ苦しかっただろう。苦しみから解脱したけ れば私についてこい」なんて言い放たれたらもうすべてを捧げて帰依するしかありません。

おっと何興奮してんだおいらは、いかんいかん。 笑
この映画、ずっと見たかったんだけど日本ではDVDがなぜかまったく流通しておらずレンタルもないので、わざわざ外国から取り寄せましたが、それだけの価値ある映画だったと思います。



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映画『リトル・ブッダ』で見る「四門出遊」 〜 ブッダへの道 

シッダールタの四門出遊 
映画『リトル・ブッダ』バージョン


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    カピラヴァストゥという王国の王子として生まれたシッダールタは深い寵愛をうけ、望むものは何でも手に入る何不自由ない日々を送りました。
    彼の周りからは、いかなる苦しみや悩みも見えないように取り除かれました。そのため彼はずっと宮殿の外に出ることはありませんでしたが、王は彼がそんな生活に飽くことのないよう、冬季、雨期、夏季の季節ごとに三つの宮殿を与えました。

    やがて彼は美しく心身健康な青年に成長し、若く美しい妻ヤショダラをめとり、やがて子をもうけました。



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    ある日、彼は美しく悲しげな異国の歌を耳にします。声を追っていくと、そこにはベールに体を包んでどこか遠くをみつめながらシタールを弾き、哀しげに歌う女性がたたずんでいました。


シッダールタは問う。
「この歌は何だろう。」

近くにいたヤショダラが答えた。
「これは遠い遠い国の歌です。かつて彼女が幼かったときに見た、美しい山や川、決して忘れることのない故郷を想う歌です。」

シッダールタは宮殿の外に出たことがないので疑問に思い、そして言った。
「不思議だ。そんな場所があるなんて知らなかった。ここの外にも、同じように美しい場所があるのだろうか。」


ヤショダラは答えた。
「この壁の向こうには、苦しみしかないと聞いております。」


「苦しみ?苦しみとはなんだ?」

「…あなたのお父上はあなたを愛しておられます。王は私たちの望むものすべてを与えてくださいます。
 こんなに美しい国を出て遠いところに行く必要はございません。」
答えに詰まったヤショダラはそう言った。

「その通りだ。ここにはすべてがあり、すべてが完璧だ。ではこの気持ちはなんだろう。
 もし世界がこの歌のように美しいなら、なぜ今まで見てこなかったのだろう。僕は自分たちの町さえ見たことがないじゃないか。
 そうだ、世界を見に行こう、この目で!」 

    無邪気に興奮するシッダールタを見て、ヤショダラは何も言わず哀しげにうなずきました。


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    王様は外出を許可しましたが、シッダールタが御輿に担がれて華やかに町に出る前に、彼が気分を害したり疑問をもったりすることのないよう、彼の行き先を内緒であらかじめみごとに飾りつけ、すべてを仕込んでおきました。「シッダールタが町で見るものすべてが若く、健康であるように」と。


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    すべては問題なく進んでいました。すべては華々しく執り行われていましたが、途中でこの若き王子は、群衆の奥の路地裏に今まで見たことの無い皺だらけで、歯が欠け、白髪で、やせ衰え骨と皮ばかりの老人を見つけました。


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シッダールタは召使いチャンナに訊いた。
「この人はなにものか。どうしてこのような姿なのか。」

「これは老いているのです。」
とチャンナが答えた。

「どういう意味だ。老いているとは。」

王子はさらに問う。

「老いは記憶も美しさも強さも損なってしまいます。
 最後には人間だれもが年をとり、必ずこのような老人になります。」

とチャンナは答えた。

「誰もが?おまえも私も?」

    問答していると、気づいた兵隊がやってきて老人を奥の見えないところに連れ去ってしまいました。シッダールタはおかしく思い、チャンナの制止を振り切って御輿を降りて後を追いました。


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    初めて見る貧民街では人々が黙々と働いていました。途中でぼろ屋のなかからうめき声が聞こえて行ってみると、顔がただれたり腫れ上がったりした病人たちがうめき苦しむ姿を見ました。


「これはなんだ。なんで彼女は泣いているのだ。」
シッダールタは問う。

「彼女は苦しんでいるのです。彼女はひどく病んでいます。」
とチャンナ。

「病んでいる?それはどういうものだ。」
シッダールタはさらに問う。

「誰しも死の瞬間までに一度は病に苦しみます。」
チャンナは答えた。

「たとえ王でもか?」

何も言わず、ただ頭を下げるチャンナ。

病人の近くに寄り添い見つめるシッダールタ。
「『死』。それはどういうものなのだ。死を見せてくれ。」


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    チャンナとシッダールタは川辺で行われている葬儀に立ち寄りました。

「これが『死』です。ご主人様。」
チャンナは言う。

    そこでは祈りを詠唱する人たちのなかで、布にくるまれた死体が川の水で清められていました。



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    二人はさらに川辺を進みました。

「ここでは死体を燃やした灰を川に流しています。ご主人様。」
 

      チャンナがそう言うと、かつて人であった灰がボウルに乗せられて川を流れていきました。




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    その先では今まさに火葬が行われようとしていました。

「死は、どの家族のどの人間にも訪れる別れの瞬間。
 体が冷たくなり木のように堅くなると、木のごとく焼かれなければなりません。」
チャンナが言った。

    火がくべられて燃え上がる火葬台。
    死体は体液を漏れ出しながら燃え尽きてゆきました。

    その光景に畏れをいだき、シッダールタは涙を流しました。


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    かくして、この日、この火の中から、この人たちによって、シッダールタはこの世の「苦しみ」を学びました。

    そして彼はまた、慈悲のこころを見いだしました。
    すなわち、彼らは私で、私は彼らであり、生ける者はすべて同様に尊いということに気づきました。


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    シッダールタは宮殿に戻ると父王に問いつめました。

「父よ。なぜかくも長く真実を隠したのですか。苦しみ、病、貧しさ、老いと死の存在をどうしてごまかしてきたのですか。」

「もし私が嘘をついてきたというなら、それはおまえを愛してきた故だ。」と王。

「あなたのその愛はいまや牢獄でしかありません。
 多くの人々が外で苦しんでいるというのに、どうしてこれまでのようにここにいられましょう。」
シッダールタは言う。

「おまえはこれまで外に行きたがらなかったではないか。」と王。しかしシッダールタの気持ちは揺るがない。

「父よ。私は苦しみへの答えを見つけなければならない。」

「私を裏切ってでもか。あとに残される妻や子に対して哀れに思わないのか。考えてみろ。もうおまえも父親だ。おまえにも義務がある。今去ることはできないはずだ。」
王はいさめようとする。しかしシッダールタの思いは深まるばかり。


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「私の妻と子への愛ですら、今感じるこの苦しみを取り除くことはできません。
 彼らもまた苦しまなければならないことを知っているからです。彼らもまた年老いて…死んでしまうのです。
 あなたのように、私のように、われわれすべてがそうであるように。」


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    そう言ったシッダールタの手には遺灰が握られていました。それを父の手に渡すと、彼はハッとして感慨にふけり、そして言いました。

「そうだ…。われわれはみな死ななければならない。そしてまた生まれ変わる。また死んでまた生まれ変わって、死んで生まれ変わって死んで…。誰しもこの呪縛から逃れることはできない。」

    それを聞くと、シッダールタは何かを見いだしたように目を輝かせて言いました。

「ではそれが私の使命です。私がその呪縛を解くのです。」

    そして父を抱きしめると、シッダールタはその場を去っていきました。




    その夜、王はシッダールタが逃げないように警備を厳重にさせ門に鍵をかけさせました。しかし不思議な霧によって皆が眠りにつくと、シッダールタはチャンナと馬のカンタカだけ起こし、自らの王国を後にしました。

    こうして真実の答えを求める若き王子ゴウタマ・シッダールタの、悟りに至る長い旅が始まるのでした。


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映画『リトル・ブッダ』は、チベット僧ラマの生まれ変わり、活仏の候補者とされた現代のアメリカ人の少年とその家族の旅路を描きながら、随所でシッダールタがブッダとなる物語を美しく壮麗な映像で綴るという、一風変わった映画です。

映画全体のトーンに赤・白・青・黄の色調が織り交ぜられているのは場面の空気を表現すると同時に、仏旗をイメージしているのでしょうか。
映画の本筋も心温まるお話だけど、やはり自分にとっての見所はシッダールタが悟りをひらくまでの物語を見事に鮮やかに映像化しているところでした。
キアヌ・リーブス演じるブッダが若々しく輝いて魅力的で、こんな人が目の前に蓮花座組んで現れでもしたらひざまずいておがんじゃいそうです。笑

この映画、ずっと見たかったんだけど日本ではDVDがなぜかまったく流通しておらずレンタルもないので、わざわざ外国から取り寄せましたが、それだけの価値ある映画だったと思います。


時間のなかで迷子

Music






生きているということ。
それは時間のなかにとどまっている「かたち」。
時間のなかで失われない「かたち」。

死ぬということ。
それは時間のなかに溶けていく「かたち」。
時間のなかに消えていく「かたち」。

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今はもうこの世にいない人が
生きていたということは何だったのだろう。

いつかこの世を去る私が
今生きているということは何なのだろう。

あの人は私を去った。
私はあの人を去った。

あの人は私の思い出のなかに、
いつまでも生きている。

再び会えるだろうか。
どうか幸あれ。

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かつていた場所にたたずむとき、
こころのどこかが尋ねてる。

あのときの私は
優しく振り返ってくれるだろうか。
あのときいたあの人に
喜んでもらえるだろうか、と。

やがて乾いた風に吹かれて、一人立ち去るとき、
私は自分に言い聞かせる。

存在の苦しみに流された涙は
きっとどこかで、たんぽぽの花を咲かせた。
胸躍った日々のきらめきは
きっと今も、この空のどこかで輝いている。

さあ、帰ろう。

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インディアンの教え


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ある晩、チェロキー族の老人が孫に、
人の心の中で起こる戦いについて語った。


「息子よ、
われわれの心の中では、
いつも二匹のオオカミが戦っている。


一匹は悪いオオカミだ。
そいつの正体は怒り、妬み、憎しみ、悲しみ、後悔、
貪欲、傲慢、自己憐憫、罪悪感、恨み、
劣等感、嘘、ゆがんだプライド、優越感、そしてうぬぼれだ。

もう片方は善いオオカミだ。
そいつの正体は喜び、平和、愛、希望、
静穏、謙遜、誠意、優しさ、慈悲、
思いやり、寛容、真実、あわれみ、そして信義だ。」

孫は少し考え、そして尋ねた。

「どっちのオオカミが勝つの?」

老人は答えた。

「おまえが育てるほうさ。」


−チェロキー族伝承 「二匹のオオカミ」







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いのちとは何か

それは、夜を照らす蛍のきらめき
凍てつく冬の空気に野牛の吐く吐息

草の上に落ちつかない姿を映しながら
日没とともに消えていく、ちっぽけな影

−ブラックフット族首長 クロウフット (1821-1890)


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人間が命の網を編んでいるのではない。
人間はその糸の一本にすぎない。

網に何かすれば自分にかえってくる。
あらゆるものはつながっている。

−あるシアトルの酋長




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そのラコタの年寄りは賢かった。
人の心が自然から離れるにつれて
ぎすぎすしたものになることを、
彼は知っていた。

育ちつつあるすべての命に対する
尊敬の念が失われてしまえば、
人間に対する尊敬の念も失われてしまうことを、
彼は知っていた。

−オグララ・スー





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朝起きたら、
太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、
感謝することだ。

どうして感謝するのか、
その理由がなにひとつ見つからないとしたら、
その責はおまえ自身の中にある。


−ショーニー族首長 テクムセ (1768-1813)






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おさな子に母親が最初に教えるものは
「沈黙」と「愛」と「尊敬」の三つである。

この三つは、三つで一つであり、
子どもに与える最初のレッスンの根幹となるものである。

のちのち母親はそれら三つの土台の上に
「寛容」と「勇気」と「純潔」を重ねていく。


−オヒイェサ (インディアン現代作家)







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狩人であり、なおかつ戦士であるものにとって、
沈黙は必要なものと考えられているばかりか、
それはまた忍耐と自己コントロールの基礎を
築くものと考えられている。




沈黙によって、体と精神と魂と、完全なる均衡が保たれる。
自分の存在を、一つの統一として保っていられる人間は、生活にどんな波風がたとうとも、いつまでも平静で、動揺せずにいられる。木の葉が揺れても、湖のきらめく水面に波紋がおころうとも、平静でいられる。
文字を持たなかった私たちの賢者にとっては、これこそが理想の態度であり、最上のふるまいだったのである。

沈黙とは何かと問われたら、賢者はこう答えるだろう。
それは、大いなる神秘だ。聖なる沈黙、それは大いなる神秘の声なのだ、と。

沈黙によって何が得られるのかと問われたら、賢者はこう答えるだろう。
それは、自分を自分自身で支配すること、真実の勇気であり、持続力であり、忍耐力であり、品位であり、敬意なのである。沈黙は人格の礎石である、と。


−オヒイェサ (インディアン現代作家)



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いちばん重要な、最初の平和は、人の魂の中に生まれる。

人間が宇宙やそのすべての力とのあいだに、つながりや一体感を見いだせたとき、その平和が生まれるのだ。
宇宙の中心にはワカンタンカ(創造主)が住まい、しかもこの中心はいたるところにあって、それはわれわれ一人一人の内部にもある、と理解したときに。
これこそが真実の平和なのだ。ほかの平和はすべて、この平和の似姿にすぎない。

二番目の平和は二人の人間のあいだに生まれる。そして三番目の平和が、二つの部族間に生まれる。
 しかし、人の魂の中に生まれるものこそが真実の平和なのだから、その平和をまず知っておかない限り、他の平和などとうてい実現しないということを、なによりも理解しなくてはならない。


−ラコタ族のブラックエルク 

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ひとびとのこころに、真の平和が宿るまで、
国と国との間に平和はやってこない。

−スー族長老の言葉




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ほんとうの知恵というものは、
ひとびとから遠く離れたところでのみ、
見つけることができる。
とてつもない孤独のなかでだ。
そのためにはとにかく苦しまねばならず、
遊び気分でいては、まず見つかるものも見つからない。

孤独と苦しみが、人間の頭を開く。

それがためにエスキモーはひとり遠くに出向いて、
そこで自らの知恵を追い求める。

−イグジュガルジュク (イヌイット)





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子供たちは私たちの未来をつくる人たちだし、
お年寄りは私たちの過去をつくり、
私たちが何もわからないとき、その胸に抱いて育み、
この世界に導いてくれた人たちだ。

お年寄りと子供を離してはいけない。
彼らを引き離すことは、過去と未来を断つことと同じだ。
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長く生きてきた巨木を見てみなさい。
木の巨大さは、それが生きてきた魂の深さなのだ。
若い青い木にはそれがない。
年輪のない木は弱く、語るべき歴史を持たない。

わしらの生き方では、年をとると長老になる。
だが、白人の生き方では、年をとっても老人になるだけだ。


−ラコタ族長老 ノーブル・レッド・マン






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子供の頃、私は贈り与えること(giveaway)を知っていた。
ところが、文明人になってこのかた、私はそのような優雅なふるまいを、忘れてしまった。
かつての私は、自然のままの生活をおくっていた。
 しかし今は、私は作り物でできた世界を生きている。

以前はきれいな石ならなんでも、
私の目には宝物に見えていたし、
生えている木ならどんなものでも、
尊敬の心をかき立てていた。


それが今では、ものの価値をドルで計る、
色づけされた風景の中で、
白人と一緒になってペコペコしている有り様だ。


−オヒイェサ (インディアン現代作家)

白人は、自分で使わないものをたくさんため込んでいる。
彼らのガレージの中は、死んだものでいっぱいだ。
だから彼らの目は死んでいるんだ。


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必要なものは、それを必要とする人のところにあればいい。

母なる大地から恵みをいただいて、わしらは生きている。
それなのに、すべての人が
必要もないのに人と同じものを持ちたがるから、
母なる大地は傷ついていく。

やがて訪れる大浄化の前に、
人々はそのことに気づかなければならない。


−現代のあるインディアン長老



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人間は生まれてくるときには苦しくて大泣きするが、
周りの人たちは新しい命を大喜びで迎える。
正しい死に方はその逆で、本人は満ち足りた心で死ぬが、
周りの人たちはその人を惜しんで大泣きする。


−インディアン口承

わしらはやがて大地に戻る。
そこに何を持っていく必要があるのかね。
この世界で生きてきたことの喜びと、
次の時代を生きる子どもたちに、
わしらが母なる大地から教えられた
美しさと感動を残してあげられれば、
それで十分だ。


−あるインディアン長老

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おまけ:ネイティブ・メディテーションと題されたイメージビデオ。インディアンフルートによる心落ち着く曲です。









photos thanks to :
http://www.old-picture.com/indians-index-003.htm

SAS教官の教え


John Wiseman 元SAS教官の教え



    「いつも不思議に思うことだが、車にはずいぶんと関心を払うのに、自分の体という何よりも貴重な財産を顧みない人が多い。」

    フィットネス・トレーニングを行うことで、自信を強めることができる。体は格段に強くなり、自己に対して抱くイメージもずっと好ましいものになる。自分が活力を発散しているように感じる。

    自分が自信に満ちたイメージを示せるのだとわかっていると、いろいろな状況で役に立つ。強盗に遭遇しても、取り乱さずにいられるし、税務署の厳しい調査にも対処できる。
    当然心配や恐怖を覚えることもあるだろう。感じてしまうことはどうしようもないが、その感情に対処することはできる。
    恐怖は抑えなければならず、これは自信に満ちた自己のイメージを示す上で重要である。本当の変化というものは自分の内部で起こらなければならないが、それとは別に肯定的な自己のイメージを生み出す役に立つものもある。



    身なりはその人がどんな人間であるかを示す。
    ビジネススーツは自信に満ち、信頼できる雰囲気を生み出す。
    カジュアルな服装だと、くだけた親しみやすい印象は与えるが、信頼感は落ちる。
    黒っぽいゆったりとした服装では頼りなく見られるかも知れないが、明るい色彩の服なら自信に満ちているように思われることが多い。

    歩き方も特定のイメージを与える。背筋が伸びた、しっかりとした歩みは、自信や目的意識を連想させる。それに対して背中を丸めた引きずるような足取りは、弱さ、頼りなさ、自信のなさを感じさせる。

    入れ墨やアクセサリーは少数者集団のドレスコードに従ったものであることが多いため、どれも特定のイメージを示す要因になる。

    身振りもやはりその人に関する様々な情報を伝える。笑顔で口笛を吹いている人はそっと喜んでいるのかも知れないし、悲しみをや自信のなさを隠しているだけかも知れない。人は、喜びは表に出しても、悲しみは隠そうとするものだ。
    身振りにはどれだけ困難や攻撃を経験してきたかが示されることもある。そわそわとしたり、どもったり、動作がおおげさだったりするのは、どれも不安や自信のなさを隠していることを示す。

    視線をあわせたりそらしたりすることからも、その人に関する興味深い情報を知ることができる。話している相手より優位に立とうとしている人は、けっして視線をそらさないものだ。しっかりと視線を合わせることが支配、攻撃性、誠実さ、自信を連想させるのに対して、視線をそらすことは自信や誠実さの欠如を感じさせる。




    ほんとうの自信とは内面から出てくるものだ。
    本物の自信や充実感とともに生じる精神的なゆとりは身振りにも現れ、服装などに関係なく発散される。一方、どんなにうまく自己宣伝をしたとしても、自信のなさを完全に隠すことはできない。

    自信というものは、遊びや充足感から生じるものだ自信は肉体のイメージにも影響されるが、そのイメージを改善できるのはフィットネス・プログラムだけ だ。トレーニングの一部である食事も、体を引き締め、体形を整える。

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    仕事にやりがいを感じたり、よりよい仕事を手に入れようと努力しなければならない。自分が生活のためにしていることについて徹底的に知ろうという態度が必要だ。無知を隠そうと虚勢を張ってはいけない。仕事は生活の重要な基礎となる。知識と経験がませば、より強いイメージを示せるだろう。



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    強い精神力をもち、自分が成し遂げようとすることに全精力を集中できるようにならなくてはいけない成功とは精神の活動だ

    「やるぞ!」と断言し、現実的で実現可能な目標とすぐれた計画に従って、その意志の力を有効に発揮するのだ。
    もちろん人生は成功だけではない。落胆や挫折を乗り越え、きりぬけることさえ困難なときもある。うまくきりぬけるにも意志の力が必要だ。たとえば長 期失業という状況でも、無人島に難破したときに求められるような強靱な精神力と、目的を達成しようという決意が必要とされる。



    われわれには生まれつき生存本能が備わっているが、先進国においては、単調な繰り返しになりがちな日常生活のために、その本能が鈍ることがある。
    その結果、生存本能は、絶えず学びなおしたり、、訓練したりしなければならない技能と化している。現代的な住居、公共医療サービス、家庭に溢れる、家事の 手間を省くための機器は、生活から多くのつらい肉体労働をとりのぞいた。残念ながら、現在の快適な生活では苦難に備えることができない。こうした生活はか ならずしも健康と精神的な強さをもたらしてくれるわけではないのだ。そのバランスを正すには、総合的なフィットネス・プログラムの厳しいエクササイズが大 いに役立つ。


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    成功、困難の克服、強い決意は、意志の力から生まれる。
    詩人のエマソンも「夢は大事にしなさい、かならず手にはいるはずだから」と諭している。希望や夢は実現する。意志の力を与えてやればいいのだ。



    幸運は勇敢な者を好むのかも知れない。また、熱意を持った人には幸運が 巡ってくるようだ。だが、率直に言って、人生における幸運の多くは、好機を逃さなかったことによるものである。
    幸運とは自分で生み出すものなのだ。努力が 成功をもたらし、成功はさらなる成功を呼ぶ。困ったときにいつでも助けてくれる妖精などいないし、チャンスがドアを開けて入ってくるのを待っていても意味 がない。すべて自分の力で生み出さなければならないのだ。




    ユーモアのセンスは、成功に欠かせない。

    誰でもみな多くの挫折を経験する し、成功しそうだというときに限って不幸に襲われたりするものだ。ユーモアは安全弁の役目を果たし、自分の落胆を大局的に見るのも役立つ。

    SASのパト ロール隊は、ヒルだらけの沼に首まで浸かったとしても、お互いを見て笑うだろう。それでいいのだ。ほかにできることなどない。どれだけ悪態をつこうが、愚痴をこぼそうが、状況が変わるわけではないのだ。
   
大したことではないと考え、前に進むだけだ。


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    自分を笑い飛ばせるようになれば、怒りのあまり我を忘れる ということもなくなる。そう、この世界では、喜ぶことも嘆くのと同じくらいたやすいのだ。

    大きな不幸に出会っても、笑いを忘れずに前進し続けるなら、最後にはかならず目標を達成できるだろう。




    恐怖もまたわれわれが直視し、克服しなければならない障害である。その形態は様々で、大事な面接の前に感じるちょっとした不安もあれば、一生をふいにしかねないような、抵抗のしようのないパニックもある。

    まず、恐怖を抱くことを恥じないことだ
    恐怖とは現実的であれ想像であれ、われわれが脅威を感じたときに現れる、「闘争/逃走」という自然な反応なのだ。ただ残念なことに、先史時代のわれわれの祖先たちにとっては実際に命を救うものだったそのアドレナリンの急激な分泌が、今ではほとんんどその意味をなさなくなっているかもしれないということなのだ。
    この原始的な防衛反応は、日常生活では障害となったり、状況に即さなかったりすることが多い。恐怖を克服するための助言をいくつか示しておく。

  • 問題を大局的に見るように心がける。
    「ほとんどがどうでもいいことで、ほんとうに大事なことはごくわずか」と、よく言われる。
    人生にずっと影響をあたえる出来事や決断などはほんのわずかしかないのだ。

  • 人生というものを達観する。
    人生とは予測のつかないものだ。喜びと悲しみ、成功と挫折、不満と達成感がたえずめぐってくる。
    無意味なことに、われわれは一生分の問題まで心配してしまう。
    特定の仕事につけるかどうか心配に思うこともあるだろうが、たとえその仕事がだめだったとしても、、またべつの仕事が見つかるものなのだ。
    ふりかえってみるとそのときは失敗だと思っていたことが、実際には人生を好転させたという例はたくさんある。

    数年前、ある友人が失業し、打ちひしがれていた。勤めていたロンドンの大手金融機関がアラブ資本に買収されたのだ。その銀行はペルシャ湾岸にうつることになり、友人は新たに合理化されたチームに残れなかった。
    当時は希望や野心がすべて絶たれたようで、将来の見通しも全く立たなかった。ところが、それから八ヶ月後、友人は新しい仕事を得ることができ、そこでは余暇の時間も多く与えられ、人生はかえってよい方向に向かうことができた。
    ある朝、新聞を広げた友人は、前の銀行に残ってクウェートに行った同僚がイラク軍の人質になっていることを知ったのだった。


  • 自分を不安にさせる状況に直面したと想像する。
    頭の中でその状況を最後まで展開させ、自分がうまくのりきっているさまを思い描いてみる。
    誰でも恐怖を経験する。それに対処したり、表に出さないような訓練を積んだ者がいるというだけだ。


  • プロ意識をもつ。出番を待つエンターテイナーでも、人前で初めてスピーチをする人でも、不安になるのは同じだ。大きく違うのは、プロなら「これが自分の仕事であり、自分が望む生き方なのだ。仕事の一部なら恐怖も抑えてみせる」とみずからにいいきかせる点だ。
    自分が成し遂げようとしていることについては、すべてプロ意識をもつようにしたい。


  • 恐怖に駆られてパニックに陥らないようにする。
    パニックはわれわれの感情をもっとも損なうものだ。けっして軽んじてはならない。呼吸エクササイズは、その急激なアドレナリンの高まりの作用を遮断するのに役立つ。日本のある精神科医は患者がパニックに対処する上で、以下の呼吸が非常に有効であることを発見した。


    1. 直立するか、背筋を伸ばして座る。

    2. 口で息を深く吸い、肺にためる。

    3. ゆっくりと鼻から息を出す。
      鼻の先に羽毛があると想像し、それを動かさないようにするつもりでそっと出す。

  • 自信は恐怖やパニックに対する最大の対抗手段となる。
    SASトレーニング・プログラムを利用して自分の目標を達成し、すばらしい達成感を味わうようにした。
    達成感、充実感、喜びは自信を生み出す源なのだ。



    プラス思考こそが、危機や恐怖を克服する鍵である。

    われわれは人生に対して前向きに取り組んでいかなければならないし、自分自身を信頼しなければならない。
    こうした目的を達成するには、自身の中にある弱さを消し去るようにつとめ、苦手とする技能を鍛える必要がある。

    競争の激しい世界で生きていくことはたいへんだし、弱みにつけこまれることも多い。
    自分の弱点を知り、それに対してなんらかの働きかけをしようと決断しなければならない。

つらい(tough)と思ったときから、強く(tough)なる。”




    ここで紹介したのはすべて、元SAS隊員&サバイバル教官、現在ウェールズでサバイバルスクール経営のジョン・ワイズマン('John Wiseman)氏による、南保和宏氏訳、「SAS肉体改造マニュアル」(原書房)からの抜粋(一部編集)です。

    この本は、イギリス軍の特殊部隊であるSAS (Special Air Service)のトレーニング・プログラムに基づいて、筋力トレーニング、ランニングから水泳、自転車、武術といったおよそ肉体を鍛え上げる上で効果的 かつ実践的な手法を総合的に組み合わせたフィットネス・プログラムを、それぞれ図解で読みやすく紹介します。
    さらに本の半分を割いて応急措置法や栄養学、日常での危機管理、そして精神面でのアドバイスもある。
    老若男女だれが読んでもためになる、人間味あふれる心身健康マニュアルとして私は強くお勧めします。



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