悩める友へ贈る言葉
2008 / 01 / 23 ( Wed ) 悩める友へ。 …ついでに悩める自分へ。 ![]() ************************************************ (以下 加藤諦三 「無名兵士の言葉」 より ) 千載一隅のチャンスが目の前で露と消える、それが人生。 その無念さを心の中でかみしめる。 それが生きるということ。 「まさか、こんなことになろうとは!」と呆然とする。 それが生きるということ。 しかし、その無念さの感情があなたの人生に意味と価値を授ける。 若くて神経症的だったころ、私は生きる方法を知らなかった。 「真の人生とは、どういう人生か」と真剣に考えた。 中央アジアの草原まで、インドの奥地まで、雪のアルプスまで、それを探し求めて旅をした。 そして成長して気がついた。 真の人生とは、「自分の人生を他人が見て笑ってもいいや」と、自分が思える人生だということに。 そして、実はそういう人生を人は笑わない。 真の人生とは、今のあなたの人生。 一生懸命したことがたくさんあるのが真の人生。 日々の生活の中で、繰り返し実行することが真実。 積み重ねていくことが真の人生。 「やり遂げた、耐え抜いた」という喜びがあるのが真の人生。 ************************************************ 『悩める人々への銘』 -作者不詳 大きなことを成し遂げるために 強さを求めたのに 謙遜を学ぶようにと弱さを授かった 偉大なことができるようにと 健康を求めたのに より良きことをするようにと病気を賜った 幸せになろうと 富を求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった 世の人々の賞賛を得ようと 成功を求めたのに 得意にならないようにと 失敗を授かった 人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに あらゆるものを慈しむために 人生を賜った 求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた 私は もっとも豊かに祝福された ************************************************ 「悩める人」は「朽ち落ちた葉」のようなものである。 朽ち落ちた葉、それは、土の中で種を抱えている。 それは、新しい生命を生み出している。 人間には再生の力がある。 秋に葉が落ちるから、春に新しい芽が出てくる。 春が来ると、過ぎ去った冬がちがって見えてくる。 |
魂の自由
2008 / 01 / 22 ( Tue ) ![]() 劣等感と優越感は表裏一体である。 人を羨望することも、人を見下すことも同源である。 そうしたコンプレックスより生ずる一切の価値判断と、それに拠る如何なる試みも、更なる苦しみを生む。 物事の成否、優劣に思い煩うことなく、自身の内なる生命と、不可侵の信念を拠り所として生きるべし。 他者が己を規定しようとするいかなる目論見にも屈してはいけない。 人が人の名において作り出すいかなる価値も、権威も、これ空虚を内容とするものであり、それはただ他者の魂を奴隷化せんとする巧みで残酷な試みである。 人にあって魂を不具にされ、魂の奴隷とされることに勝る悲惨はない。 だから、決して他人にラベルや値札を貼らせてはならない。 他人が自分に信じ込ませようとするものに追従してはならない。 決して己を売り渡してはならない。 人は、つまるところ己の心の定めるところの者以外の何者でもありえない。 己の御者となれ。己のありたい者であれ。 自由な魂であれ。 |
アテナイの学堂に学ぶ知性の育み方
2008 / 01 / 20 ( Sun ) ![]() この絵なんだか分かりますか? そう、ラファエロの「アテナイの学堂」です。 絵の中央に描かれるのはかのプラトンとアリストテレス。 ![]() 白髪で聡明な印象を与える左側のプラトンは、天上を指してイデア界の真理を語っている。 その話を聞きながら何かを地に抑えるようなポーズをとるアリストテレスは、「お言葉ですが師匠、天上のイデア界なんて話とびすぎじゃありませんか。感覚的所与の実在性に優越する実在など誰が証明できようか。真に存在するのは目の前の現実、この地上にすべての本質は宿っているはずですぜ。」と反駁している。 そう推察されます。 ここにおいて、プラトン・アリストテレスとその門下生たちにまつわる特徴的な慣習が、実は描き出されています。 それは、「歩きながら考え」「対話すること」です。 >まず「歩きながら考える」こと。 健康に資する運動という面においても、それに伴う体内循環の改善による脳の活性化という面においても非常に有意な行為といえます。 そもそも神経中枢のどの部分も個別に働くものではないため、内臓も筋肉も大脳も機能的には一つの直接的な連携で互いに影響されあっている。そのことを鑑みても、史上まれに見る知能集団であった彼らがかくなる習慣をもっていたことは必然といえるかもしれません。 >次に「対話」 Dialogue すること。 人間としての基本ですね。 対話することは、ただ相手の情報や発想を取り入れるだけでなく、対話という行為それ自体に刺激された結果それまでは考え得なかったブレークスルーをもたらします。 しかし昨今情報化社会が進むにつれて、皮肉にも情報や社会構造の絶対化、一方通行化が進み、結果「対話」の機会がますます局限され失われていっているように感じられます。 何もかもがルーチン化、ドグマ化された社会には新しいものは生まれない。 以前欧米紙でハーバード大学に通う子供をもつ家庭の特集をしていたが、ある家庭では幼いころから子供に「なぜ?」を問い、答えさせる習慣があったという。 「なぜ信号はあんななの?」「なぜ横断歩道があるの?」 間違っててもいい。対話を通して考えさせる。 考えた分だけ褒めてやる。 なるほど聡明な子というのはかくして育つものだと納得させられる。 これがたとえば無知で愛情のない親だったら、子供とこんな対話はしない。質問をされても答えない。答えられない。しまいには怒ってだまらせる。 そうなると子供は考えることやめる。向上心を失いただただ条件反射だけの人間になってしまう。 そんな親にはならないよう、共に考え、対話できる親になりたいものです。 おっと話がそれたけど、「歩いて考える」「対話する」という積極性があってこそ、知は生まれ育つものなのだなあということを、この絵から考えてみました。 * |
運命に沈黙すること
2008 / 01 / 14 ( Mon ) 「己の運命に沈黙せよ。」
昔の偉人たちは、みな口を揃えてかく言った。 自分がなぜ生まれ、死んでいくのか。 自らの境遇に、環境に、性質に、巡り合わせに、呟きたいことはたくさんあるに違いない。 自らの過去に、自らの現状に、自らの未来に、呟きたいことはたくさんあるに違いない。 不安、嘆き、怒り、恐怖、後悔…。 運命の重さに耐えられなくなった者は、我が身の不幸の不当さを語り、他者の非を誹り、自他を愚弄する饒舌と感情にすがってしまう。 逆境を前にして饒舌になる者は、心の奥深くに自分すら受けいれられない弱さをもっている。 そうして言葉に頼り、言葉にすがることだ。 そうして自ら可能性を狭めてしまう。 運命に沈黙を守る者は強い。 運命に沈黙する者に、運命は味方する。 人生の本質が戦いにあるのか、逃げにあるのか、誰にも言えないことであり、また、どうでもよいことだ。 この世にかく生き、かくあり、かく戦い、かく逃げたことを、沈黙をもって受けいれ、また前に進んでいくいけばよい。 限りある命のなかで、運命に生かされ、運命に局限される人間が発揮しうる真の強さとは、そうものではないだろうか。 |
街のあかり
2008 / 01 / 05 ( Sat ) ![]() 嗚呼いい映画だった。 映画でこんなに共感と安らぎを覚えたのは何年ぶりだろう。笑 さえない、もてない、友達いない。 金ない、家族ない、学歴ない、愛想ない、仕事場でも認められない。 ないないづくしの孤独な男コイスティネン。 無愛想で朴訥な性格ゆえに、社会ののけ者にされる彼はしかし、孤独故に守り抜かれた愚かなまでの誠実さと素直な優しさ、子供のように無邪気な希望と惨めなまでに純粋な愛を心に秘めていた。 物語が進むほどに、彼はどんどん窮地に転がり込んでいく。 うまく立ち回れるチャンスがあっても、あえて愚直に突き進み、あえて寡黙に堪え忍ぶ彼の姿はもはやハードボイルド。 ![]() 「俺はもうおしまいだ …… というのは冗談。」 人生がどうしようもなく滅茶苦茶になったとき、なおも彼の静かな希望はたじろがない。 何かがうまくいかないとき、人はまわりの人々や社会を責めたり、自分を責めたりして思い悩む。 でも彼は最悪な状況をありのままに引き受けてただ黙々と生きる。 たとえどんなに不器用でも、どんなに不遇でも、どんなに孤独でも、自分に素直に誠実に生きていたら、きっといいことあるよ。人生すてたもんじゃないよ。 そうして最後に、ささやかな愛のぬくもりが待っている。 なんて素晴らしい映画だろう。 ![]() ![]() **************************************************** 「街のあかり」オフィシャルHP http://www.machino-akari.com/ <かいせつ>(各メディアより抜粋) フィンランドのヘルシンキに、ひとりの男が静かに生きていた。友人はいなかった。愛する人もいなかった。見守る家族もいなかった。文字どおりひとりぼっちの世界を生きていた。 海辺でソーセージ屋を営む女だけが彼を見つめていたのに、その店のあかりは彼の眼には入らなかった。 街の片隅でたったひとり生きる男の、孤独な、しかしつつましやかに夢を見ながら生きる世界に猛毒が注がれる。 寡黙すぎるゆえ、社会の影となって生き、誰も彼の事を顧みない。そんな彼を利用する者により、コイスティネンは不幸のどん底に落ちていってしまう。 物語は、あるマフィアの男が自分の情婦ミルヤを使って孤独な男コイスティネンを誘惑し、ショッピングセンターの宝石を強奪して彼に罪を擦りつけるところから始まります。 愛に飢えていた男が、美しい、毒のある花のようなミルヤの、焦らすような誘惑の手練手管によって生まれて初めて恋におちていく様、そして信じた愛ゆえ、やがて降りかかる災難をまるで黙示のように粛々と受け入れる様子…。それらの場面は恋する人間が放つ瑞々しいほどの美しさと、胸を打つほどの悲しみを同時に際立たせていきます。 そして常に通低音のように流れる人間の誠実さ。それはもはや、世界中を探しても存在しない宝石のように、憧れの感情さえ伴って観る者に強く揺さぶりをかけてくるでしょう。 やがて、彼が必死で守ろうとした犬(パユ)の導きによって、天啓というほかないラスト・シーンが訪れます。コイスティネンが守ろうとしたもの。待ち望んでいたもの。それは形を変え、より慈愛に満ちたものとなって、天空より降り注ぐのでした…。 チャップリンの『街の灯』のごとく、人間の誠実さを丁寧に追いかけた傑作がフィンランドから誕生しました。北欧のゆるやかな空気感のなかに宿る、生きていくことの喜びが灯す微かなあかり。そのあかりのもとでは、清らかで美しい涙が流されることでしょう。 **************************************************** |
ピタゴラスの説教
2008 / 01 / 04 ( Fri ) ![]() まず不滅の神に対して汝の勤めを果たすべし 親御と近親者を敬い 徳において第一の者を友となし 彼の話に注意深く耳を傾けるべし ささいな欠点で友を力に任せて捨てるな 怒り、怠惰、贅沢は避けよ 邪悪なものを慎め しかし己を最も恐れるべし 肝に命じよ、人は皆死ぬべく定められている 富はそれを得た時と同じように速やかに失われる 苦しみは、神のおぼし召しによってもたらされるので、喜んで受けよ だが、一切の気苦労を除くように努め 正しい者がいつも最高の利益を得るとは限らないことを思え 人の甘い言葉に惑わされるな 荒々しい脅迫に恐れをなして正しい覚悟を捨てるな もし何かをしようとするなら、まずよく考えよ 後で悔やむようなことはしてはならぬ まず自分に向いている事を学ぶようにせよ 運動と食事に節制を心掛け 平静な落ち着きの中に己を保つべし 虚栄心がもたらす浪費を戒め 浅ましくなってもいけない 何事も中庸が最善である 例の日記(自省の日記)を3回繰り返すまでは 夜、目を閉じて休んではならない どんな過ちを犯したか、何をしたか、何をしていないか このように初めから終わりまで総括を行ない 悪行のためには悲しみ、善行を喜べ 恐れることはない、人はもともと天上の種族である 神聖な自然により何を抱擁すべきかを教えられ、 それを追求すれば、魂を肉体の汚れから守ることになる 控えよ。理性を用いて心のたづなを引け そうすれば天上へと昇り、肉体からは自由になる そなたは死を免れた聖人であり、もはや滅びることはない 以上は三角定理の発見などで名高いピタゴラスの信条・教理です。 彼は数学者というより数字の神秘を重んじた宗教家で、ピタゴラス教団という新興宗教を創始した教祖でもあるんですね。<参照> |
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