The Journey : Somewhere Down the Road - 200910

期待の新作映画

dearjohn

「Dear John」
若き兵士と女子大生のラブストーリー。
こんなカップル、素敵だな〜。
原作はあの「きみに読む物語」の作者によるもの。涙と鼻水を覚悟して観るしかなさそうである。





「2012」
2012年12月に世界の終りが訪れる。
マヤの予言を中心に、他の文化圏の宗教的予言や科学的データが不思議と一致するとかしないとかでオカルト・精神世界系の人たちの間で今や祭り状態の2012年終末論。直球で映画化しちゃったみたい。
しかしハリウッドはほんとカトリックにちょっかい出すのが好きである。わざわざバチカンを壊すなこのバカチンがー!





「The Twilight Saga: New Moon」
「トワイライト」の続編。
前作でフラグが立っていた人狼種族がついに日の目を見るようだ。
前作の予想外の大ヒットに、スケールも急拡大という感じだろうか。期待は膨らむ。









「Dear John」のトレイラーソングがかっこよかったので探しました。
Snow Patrol のSet The Fire To The Third Barという曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=GOO4So0wv1Y



「フジコ・ヘミング 〜あるピアニストの軌跡〜」を観る



 NHKで「フジコ・ヘミング 〜あるピアニストの軌跡〜」という番組の再放送を見る。
 老女にして現役ピアニストとして活躍する彼女の人生は波乱万丈。
 演奏会の会場に立つ前に十字をきる彼女は、カトリックのクリスチャンだそうだ。
 国籍の問題や病気によって何度も閉ざされる道。次第に彼女は「自分の人生にもう出番はない」、今残された人生は天国への通り道にすぎないと悟る。
 お絵かきをしたり、生活のなかにささやかなこだわりを見出したり、入ったことのない店に入ったり、そうして日常のなかで肩ひじ張らず、自分らしく思い、感じ、試みること、それはみんな天国にもっていく宝物になる。このスピリチュアリティこそ、独り身の女性が(九匹の猫と一緒に)晩年をかくも豊かに生きる、秘訣なのだろう。


"運命はいつか必ずやってくる。
なにかを始めて、これで成功しようなんて思っているときは、ぜんぜん成功しない。
どうしてダメなんだって、ジタバタしながら思う。
それは自分の才能とは関係がない。
天に運命を支配されているのだと思う。

運命は誰にも公平。
必ずそうなるように決まっている。
人間の間で決められることではなく、天から運命を与えられている。
一匹の雀の命でさえ、神様に左右されているのだから。
運命は、自分の力ではどうすることもできない。
一生懸命こちらがやっても、扉は開かない。
だけど自分だけの力では開かない扉が、
ほかからのなんらかの力で「いま!」っていうときが、必ず来る。

そのいまのために、私たちは準備しておかないといけない。
チャンスを逃さないように。
そのときになって、ああ準備していればよかったなあ、って後悔するかもしれないわ。
それは突然、部屋に強盗が入ってくるのと同じ。
運命もいつやってくるかわからない。"
(阪急コミュニケーションズ (2001/6/11) 「フジ子・ヘミング 運命の力 」 まえがきより)








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反・反キリスト

rosarysword

 なにしろ日本人は反キリスト教が大好きだ。キリスト教は狂信的な宗教あつかいが当たり前。海外のキリスト教徒を当然の様に上から目線で蔑む。「神だって。バカじゃねーの。」とういスタンスが、日本人の先進性の証明だと思っている。日本の小説やドラマやマンガ・アニメでは、「神よアーメン」などと言う人物は必ずと言っていいほど、頭が弱かったり、自己中だったり、精神薄弱だったり、狂っている人間として描かれる。
 そんな日本人のキリスト教バッシングをバッシングしてみよう。

 「キリスト教は異教徒を差別してる。傲慢だ。」と言う連中は、自分たちこそ傲慢にも異教徒=キリスト教徒をさして故もなく差別していることに気づかない。八百万の神は寛容であるだって?「八百万の神以外認めない」というのが連中の態度なら、一神教より内容の統一性が八百万分の一ぐらいに希薄になっただけで、排他性の本質は何も変わらないじゃないか。神道も十分排他的な宗教だ。でなければなぜ植民地時代に現地の宗教施設を尊重せず、いたるところに神社を作り、参拝を強制したのか。

 「聖書には戦争で人を殺したりすることばかり書いている、野蛮な邪教だ。」と言う連中は、まず聖書の文脈を意図的に歪曲するか、無視している。そんな連中は「源氏物語は不道徳な不倫、性交、強姦にあふれている。日本人は性的に倒錯した変態民族だ。」と言って自分の首を絞めていればよい。
 そして戦争や聖戦などの記述があるのは旧約聖書のことであるという基本的な区別もついていない。旧約聖書はユダヤ教やイスラム教の主たる聖典でもあるのだから、連中はイスラエル人やアラブ人に向かって同様の愚言を吐かなければならない。でなければ連中は、キリスト教についての無知と偏見と狂った憎しみによって、自爆テロや政治問題に発展しない無抵抗なキリスト教に狙いをしぼってスケープゴート叩きをしたいだけの、小心で卑屈で卑怯な人間であると自らを証明しているに等しい。

 「キリスト教は歴史的に戦争や虐殺をくりかえした最低な宗教だ」と言う連中は、頭の悪いオーバーカテゴライゼーションを恥ずかしげもなく披露している自分に気がつかない。こういう人間は皆同様に、人種や国籍や出自や学歴や職業などで平気で他人の相対的地位や人格を決めつける、陰湿で器の小さい性格の持ち主だ。
 連中の思考を端的に表現すると、「凶悪犯罪者の99パーセントはパンツをはいていた。パンツをはくやつは最低な犯罪者どもだ。」と言うに等しい。キリスト教を理由に多くの戦争はあったし、争いの義をキリスト教に求めた人物も数多くいたが、それらはすべて詰まる所個人の信条や集団心理にすぎず、個人の信条や集団心理が宗教の本質であるなどとするならば、この世で争いの原因にならないものはない。注意深く観察すれば、戦争の根本原因は貧病争や政治経済のなかに別個にあるものだ。
 「仏教は戦争をしない唯一の宗教です」など、何をかいわんやだ。日本の仏教は昔から互いに武力闘争を繰り返してきたし、戦国大名に肩入れして戦争を助長していたし、本願寺は「仏法領のために戦って死ねば極楽浄土に行ける」と信じて信長軍に対して文字通り聖戦を戦った。キリスト教を戦争宗教と罵るならば仏教も自ら投げた汚泥をかぶらなければならない。(私は連中とは違うのでそうであるとは思わない。)
 宗教だけではない。日本の神風特攻隊は「お国のために」といって自爆攻撃したが、連中の理論では日本という国は人間を自爆させる恐ろしく邪悪な国家ということになる。連中の理論では天皇ほど暴力と死を招いた邪悪な家系というのはないのだろう。(私は連中とは違うのでそう思わない。)
 「家族のために。愛する人のために。」と言って戦争を戦ったり自らの命を犠牲にした人間は古今東西数知れないが、連中の理論では「家族や人を愛することは争いと死を招く、恐ろしく邪悪な行為である」ということになる。(まあ原始仏教の観点からは正論に聞こえるが。)
 昨今は日本欧米を問わず、先進諸国やいわゆるインテリ連中の間では、如何にキリスト教の悪を論じるか、そうして如何にキリスト教以外の宗教を相対的に賛美するか、ということが自分たちの客観性や知識力の証明になるかのような、とち狂った風潮があるのは確かだ。そしてキリスト教は人類史上もっとも巨大な宗教に成長したので、そのもとで生じた悪い事件をすべてキリスト教にこじつけて無知な人間を錯覚させることは難しくない。しかし本当に知識があって、歴史上キリスト教がもたらした良きもの、良き影響を考えるとき、それは決して少なくない。
 教養と客観的な知的態度が備わっている人間は、決して反キリスト教の物言いに肩入れすることはない。


※わたしはキリスト教支持者でありキリスト教徒ではありません。
 またキリスト教が最上の宗教であるという認識もなければ、その逆もありません。
 そもそも宗教を相対化して優劣をつけようなどとは、はなはだ醜悪で不毛な試み。わたしがここに書いたこともまったく大人げなく醜悪であるのは承知のうえ、あまりにも反キリスト教の誹謗中傷、愚説、妄言が流布している現状に対する抑えがたい免疫反応として、書かずにはいられないということです。



神はいるのか



 神を信じるとはどういうことだろうか。
 わたしは心のどこかで絶えずこのことを考えている気がする。
 
・神はいるのか
 古今東西で絶えずくりかえされてきた問い。
 様々なアプローチがあり得る問い。
 誰かが「神はいる」と断言したところで、信じるわけにはいかない。
 誰かが「神はいない」と断言したところで、信じるわけにはいかない。

 「リンゴはあるのか、ないのか」と問うとき、リンゴが一体どういうものであるのか知っていなければならない。「花は美しい」と言うとき、花とは何を指すのか、美しいとは何を意味するのか、具象的な領域と形而上的な領域で一致がなければならない。
 「神はいるのか」と問うとき、その問いの対象と認識について他人との一致はまず不可能であると諦めなければならない。なぜなら人間は皆、神について盲目だからだ。
 こんなたとえ話がある。盲目の男が4人いた。ある日彼らは象という生き物がなんであるか話し合った。象の鼻を触った一人目曰く「私は知っている。象とは長くて太い蛇のような生き物だ。」。象の耳を触った二人目曰く「私は知っている。象とは薄い皮を垂れ下げている生き物だ。」。象の足を触った三人目曰く「私は知っている。象とは太い柱のような生き物だ。」。象の尻尾を触った四人目曰く「私は知っている。象とは紐のような生き物だ。」。
 人間が神について考えるとき、常に同じようなことがもっとひどい形で起きている。なぜなら人間と神の大きさの違いは、人間と象の大きさの違いより遥かに大きく、人間が神について触れて知ることのできる部位や性状はそれだけずっと限局されているからだ。

 だから他人が神の是非を押しつけてきても、それはナンセンスなことであると悟ることができる。
 最後は個人の知覚、知識、経験、感性と理性をフルに動員して取り組まなければならない。


・神を気にかける意味はあるのか
 神がいるとして、神は何か人間と係わっているのだろうか、人間を気にかけているのだろうか、神に祈るとき聞き届けるのだろうか、神を信じれば善となるのか、もしそうでないなら神はいてもいなくてもどうでもよいものだし、いないものと仮定する方がずっと現実的だ。
 神への無関心。
 この問題は神の実在を問う以前の試金石として重大だ。

 現代人は明に暗に、神を信じることは罪であると説く。神の存在や信仰を前提におく意見やコンテンツが公共のメディアで紹介されることは、神の存在や信仰を否定・揶揄する意見やコンテンツが紹介されることに比べて遥か遥かに少ない。
 現代人が神に関心を抱くには、社会の在り方や現代の人間性の在り方、世間的に形成される実存に内在する矛盾を見抜き、常識とされる価値観に疑問を感じる他に道はない。幸か不幸かそういう人は少なくない。

 矛盾を見抜き、疑問を感じた。さあどうする。
 ここから神に関心を抱くには、さらに選択を経なければならない。
 多くは自らの力、能力、欲望、願望、思想、アイデアによって、自分の納得にいくように改革しよう、作り変えようという方向にすすむ。それが社会の称賛するやり方だ。
 しかしここでさらなる矛盾と疑問に気づくことができる。
 すなわち、これでは結局のところ、メビウスの環にすぎなくはないか。
 自己啓発だの、社会改革だのと言ってみても、結局は深いところで他人からの暗示によって動き、かつて矛盾と疑問を感じた体制の支配のもとに手篭められているにすぎないのではないか。そうしていつの間にか、今度は自分の思い行いが矛盾と疑問の被写体となってはいないか。

 人間というのは、小さい世界に安住して何もかも思い通りになっている限り、滅多に神を思うことはない。
 たとえば、ゲームに没頭しているときに誰がどのようにしてそのゲームを開発したかなど気にかけるものなどいない。そのゲームがうまい自分が一番偉いと錯覚する。
 たとえば、計算をするときに神は必要ない。1+1=2であると断定できる。なぜなら、計算は人間が考え作り上げたものだからだ。われわれは人間が計算して作った制度のもと、人間が計算してつくったインフラ・住居のなかに住んでいる。人生も計算づくだ。いい学歴+いい会社=いい人生。高身長+高学歴+高収入=いい結婚。世の中はそんな類の公式や偏差値であふれかえっている。そうして自分や他人の全存在を一公式のつまらない一変数にまで矮小化し、単純化することを当然と考えて生きている。
 しかし人生のあるとき、それは大抵前触れもなく突然やってくる。それまで安住していた小さな公式の世界から飛び出してしまう瞬間、はじき出されてしまう瞬間が。目から鱗がとれる瞬間が。それまでの自分が死ぬ瞬間が。


靖国右翼、キリスト教を攻撃する



 靖国崇拝の西村修平なる右翼とその子分がイグナチオ教会(わたしの母校上智大学に隣接している)に乱入しようとしたそうで、信者代表を吊るしあげている動画を嬉々としてネットにアップロードしている。
 これはヒドイ。
 カトリックが反靖国の主張をしているとして激情しているようであるが、ひたすら大義も何もないキリスト教憎しのいじめを繰り広げている。キリスト教の教義で揚げ足取りをして、信者という以外に何の落ち度もないはずの人間を徹底的に人格攻撃しているのは、クリスチャンでなくても不愉快極まりない。
 しかしここには無学で傲慢な人間がキリスト教を攻撃する時の典型的なパターンがみてとれるので興味深い。

 こういうタイプの人間は意見を違えるものを「非国民!嫌なら日本から出てけ」などと鬼の首でもとったかのように罵るが、どういう思想をもっていようと自由なのが現代日本社会のルールであり、手前勝手な思想を理由に公共の場で赤の他人に罵声を浴びせたり、街宣カーで大爆音を垂れ流したりするのは、わたしの愛する日本国の公共の秩序と平和を大いに乱すことであり、そんなことを嬉々としてする人間こそ、わたしは非国民と呼びたい。
 こういう右翼や国粋主義者というのは、大抵が個人としては小心者というのが実際のようだ。彼らは劣等感を補うために「かつて偉大だった大日本帝国」および「臣民」とか「サムライ」とかいう幻想の暴力機関や権力を狂信し、日常の鬱屈した感情、不平や不満のはけ口を、彼らの言う「非国民」やら外国人に求めるわけだ。
 

 いずれにしてもこの動画は一般市民への誹謗中傷を許可なく撮影し、実名まであげつらっているという点で公序良俗に反するし、肖像権のあからさまな侵害にあたるので、早急に削除されるべきだ。


※本記事は西村修平なる威力妨害的右翼活動家および類似の思想・信条を支持する人物・団体を批判するものです。死者追悼の社としての靖国神社を批判するものではありません。
 また私は普段右翼や保守主義を敵視しているということはありません。歪んだ左翼思想よりは評価しています。しかしテロリズムは許せません。連中はこんなことをしていて「英霊」に顔向けできるとでも思っているのでしょうか。

忍者は水中で呼吸できるか / 過換気症候群

・Can Ninja breathe under water ?

 忍法で、水中に隠れながら吹き抜いた竹を水面から出してストローのように空気を吸う「水遁の術」というのがある。
 実はあれはやっているとそのうち窒息してしまう。
 一見理にかなっているように見えて、実は理学的にナンセンスな行為なのだ。

 実際に似たようなことを試してみたことのある人もいるのではないだろうか。
 口に筒をさして呼吸をすると、次第に苦しくなってくる。なぜならこれは密閉した袋を口にしてるのと同じで自分の吐いた空気を再び吸っているに等しく、徐々に酸素分圧は下がり、二酸化炭素分圧は上がり、低酸素状態に陥ってしまうからだ。

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 人間の安静時の一回換気量は500ccであるが、実はそのうちの約3分の1となる150ccは呼吸に活かされず言ってみれば無駄になっている。
 息を吸うと空気は 鼻・口腔→喉頭→気管→主気管支(1)→肺葉気管支(2)→区域気管支(3-10)→細気管支(11-14)→終末細気管支(15-16)→呼吸細気管支(17-19)→肺胞管(20-22)→肺胞嚢(23)→肺胞 に辿りつくが、実際にガス交換が行われるのは呼吸細気管支〜肺胞の間しかない。そこに至るまでの鼻・口から終末細気管支までは大体150ccあって、ガス交換の観点からは無駄なスペースであるから解剖学的死腔dead spaceと呼ばれている。
 この死腔dead spaceには吸気の最後に吸われ、呼気の最初に出ていく空気が入っていることになる。口に長い竹筒をさすという行為は人工的に死腔を拡張しているに他ならない。

 もし現実に水遁の術をしたとしよう。
 徐々に低酸素・高二酸化炭素状態となり、意識は朦朧としてきてパニック状態となり、敵から隠れるどころでなくなるのではないだろうか。
 問題の解決法として現代の酸素ボンベのように呼気を別のところに逃がすという方法が考えられるが、これでは水面に気泡ブクブクで忍法として問題である。
 あるいは現代のシュノーケルのように筒を短くして死腔体積を減らす。しかし、これでは水面から丸見えになる恐れがある。
 となるともはや精神論でがんばるしかない。死腔体積をカバーできるぐらいの、常人の何倍もの換気量を、換気努力に見合わない低酸素下で、水底で長時間続けられるよう決死の猛特訓に励むべし。???(よい子はマネしないでください)

 ちなみに現代の忍者とも言うべきアメリカのSEALSのような特殊部隊が使用するDRAGER LAR V ( ドラッガー循環式酸素呼吸器) は、ダイバーが吐いた息から二酸化炭素を取り除き、再び酸素を加えて循環させるメカニズムにより気泡が水面に上がらず、酸素ボンベも1.5リットルほどの小型のもので済むという。

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・Hyperventilation syndrome

 死腔が増えると徐々に窒息するという話をしたが、一方でペーパーバッグ法という、袋を口にあてて意図的に同様な状態をつくりだす治療法が存在する。
 これは過換気症候群という、浅く頻回な呼吸、呼吸困難感、不安、手足・顔面のしびれ、けいれんといった症状に対して適用される。

 過換気の主要な原因は精神的なストレスであり、特に不安の重積した状態、感受性の豊かな思春期の人、女性に見られやすい。パニック障害の一環としてもとらえられる。
 不安やストレスによって過換気症候群が生じると、症状で余計に不安・ストレスが負荷され悪循環に陥ってしまう。呼吸困難感も実はストレスが脳幹の呼吸中枢をだましている状態であり、むしろ酸素は十分すぎるぐらいあるので実際は体にはまったく異常はない。

 病態を説明すると、過換気で頻呼吸になることで、酸素よりはるかに拡散能の高い二酸化炭素がみるみる呼気排出されて血液CO2分圧が下がってくる。するとCO2は実は血液の酸塩基平衡を保つのに利用されており、CO2減少の結果pHがアルカリに傾くと血清アルブミンがH+を放出してかわりに遊離Ca2+と結合、遊離Ca2+が減少すると全身の細胞膜安定性が乱れてしびれやけいれんを呈するわけである。

 治療は不安やストレスを鎮めるに限る。ペーパーバッグ法は低二酸化炭素血症に対する理学的な処置という名目はあるが、もとが精神的なものである以上根治的な意味はなく、むしろ医者の指示に従うことへの精神的な安心感、プラセボ効果の方が大きく働いているという考察もある。
 症状が頻回であったり、難治であったりする場合は抗不安薬の内服、およびβブロッカーの併用も考えられる。また原因となる不安やストレスに無自覚であったりする場合もあり、精神科との連携が必要になる可能性もあるだろう。


"Waratteta" by Yoko Kanno



Waratteta
composed by Yoko Kanno
with vocals by Mou Sukoshi





ぼくはすぐに ゆうべみた夢を忘れてしまうんだ
今日はどこに行こう
日差しをさけ だれと会おうか
ひび割れた窓にうつるファンタジー
Here comes the day you’re looking for

ほらね わらった
わらってた方が ずっとやさしいよ
どこで待つの
目の前にあるのに なぜかこわくって
花束にして きみにファンタジー
抱えてくよ

グッバイ イエスタデイ
くりかえして
ポケットにずっと
きみの冒険がつまってく

グッバイ イエスタデイ
そのむこうに 流れてゆく雲
たとえば 傷つくことがあっても
ぼくはきっと へいきさ

今日は少し
あの日来た場所を 思い出してるんだ
何を歌おう
まちぼうけ 原っぱに 風が見えた
星空にして きみにファンタジー
照らしたいよ

グッバイ イエスタデイ
くりかえして
ふりむけばきっと
きみの手のひら こぼれてく

グッバイ イエスタデイ
とおいとおい とおすぎる空が
何色であっても かまわないから
ぼくはずっとあるこう

見えてた時に 見えなくて
見えなくなって そうはじめて 見えてくるもの
ねえぼくにも さわれる日がくる
もう一度きっと

グッバイ イエスタデイ
くりかえして
ポケットにいつも
きみの冒険がつまってく

グッバイ イエスタデイ
もうすぐほら ポケット離れ
きみの冒険が動き出す

グッバイ イエスタデイ
そのむこうに 流れてゆく雲
たとえば 傷つくことがあっても
ぼくはきっと へいきさ





管野ようこさんの作る曲、ほんとどれもステキです。
少年のように無垢な愛しさ 健気な勇気 失いたくない。


脳細胞の殖やし方

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・死ぬまで増やせる脳細胞

 「脳神経細胞は20代に入ると成長を止めて死んでいくのみなので、年をとったら新しい学習は困難になる」というのは、最新の医学的知見からは間違いである。
 1990年代初頭ロックフェラー大学にいたElizabeth Gouldは成体の脳の特に学習と記憶に関与する海馬と呼ばれる領域で毎日新たな細胞が生まれてくることを、BrdU(ブロモデオキシウリジン)染色で証明した。ラットやマウスによる実験では毎日5000〜1万個のニューロンが新生していることが明らかとなり、ヒトの場合どのくらい新生が起きているのか現段階では不明である。
 ここで重要なのは、新生ニューロンは新しい学習によってその存在を活かさなければ数週間以内に死んでしまうということだ。
 ロンドン大学のEleanor Maguireが2000年の『米国科学アカデミー紀要』に掲載した研究によると、ロンドンタクシーのドライバー16人と一般の人50人を対象に脳の構造をMRIで詳しく調べた結果、タクシードライバーの海馬が一般の人と比べて肥大していることがわかった。ロンドンのタクシードライバーには2年以上の厳しい教習を経て地理・道路情報や適切なルートをみっちり叩き込まれるという職人気質な制度があり、さらに毎日様々な客を乗せることで日常的に活発な認知活動が行われていることもこの特異的な脳成長の秘訣だろう。

hippocampus


 新生ニューロンは使わなければ急速に消滅する。
 毎日細胞を作っては失うという一見効率の悪いシステムになっているのは、これが緊急時に備えるものであることを示唆している。認知機能をフルに使う状況に追い込まれることで細胞は生き延び、そうでない場合はアポトーシス(細胞自死)する。
 新生ニューロンの生存に必要な学習は、簡単なものであってはならない。
 たとえばラットの実験でも、「痕跡瞬目反射条件づけ」という音と共に空気を目に吹き付ける課題において、ただ音と同時に吹き付けたのでは記憶を辿る必要があまりないからか新生ニューロン生存率は高くないが、音を延長してタイミングを記憶しなければならない状況をつくると新生ニューロン生存率は向上する。
 こうした実験から、学習の成立までにより深い思考や認知活動が必要な課題ほど海馬のネットワーク、既存のニューロンを活性化させ、新生ニューロンの成熟を促すことが理解される。人間の場合、積極的な知的欲求、好奇心がカギとなってくるだろう。

 またMAMという細胞分裂を阻止する薬剤によりニューロン新生を阻害した個体による「状況恐怖条件づけ」実験では、新生ニューロンの有無が生死に直接的に係わる刺激や快不快の学習にはあまり関係がないことが示唆された。(つまりそれらは既存の脳細胞で十分になされる)
 新生ニューロンは主として既存の問題解決能力を調整・強化する「学習のための学習」に働いていると推測される。

 ヒトにおいて新生ニューロンの欠如がどのような意味をもつかについては、ケモブレインやアルツハイマー病患者にみることができる。
 ケモブレインとは、抗ガン剤治療を受けている患者が学習困難や物忘れを訴える症状を指し、これは抗ガン剤のもつ細胞分裂抑制作用が全身に及ぶことで、MAM注マウスと同様にニューロン新生が阻害されたことにより生じていることは明らかだろう。彼らは日常生活にほとんど問題を呈さず、基本的な認知機能に深刻な異常や障害が生じているとは考えられず、一方で誰もが困難と思う作業の成績、複雑な学習の成立に悪影響を及ぼしている。
 アルツハイマー病では新生ニューロンが発生はするが成熟せずに消失するという病態が確認されている。


・脳細胞の殖やし方

 海馬新生ニューロンの数は規則的ではなく、促進因子と抑制因子が存在する。
 アルコールやニコチンを摂取するとニューロンの新生が抑制されることがわかっている。
 有酸素運動をすると新生ニューロンの発生率は高まり、時にそれは動かない個体の2倍にものぼる(ただしラットの例)。身体活動と認知機能を同時に駆使するダンスなどはさらに有効だろう。
 抗うつ薬はニューロン新生の強力な調節因子となっていることがわかっており、抗うつ薬投与により新生ニューロンの発生と生存が促される可能性があると注目されている。2007年の研究では抗うつ薬の長期投与がアルツハイマー病患者の日常生活を改善し、全般的機能を高める報告がされた。
 ほかにもブルーバリーや、ブドウの成分レストベラトロール、DHAなど食品由来成分によっても脳機能の改善がある考えられ、いくつかは現在認知症治療の臨床試験が進行中である。

 とにかく使えば認知機能は年齢に係わらず維持・強化されることが確認されたわけだ。
 外国語を学ぶ、好きなことを研究する、趣味の知的課題に挑戦する、ダンスを習うなどは年をとった人ほどするべきなのだ。単なる自己満足ではなく、将来的に認知力を維持し、社会的に生存するための重大で必須な任務と心得て。Wii Fitや認知機能を駆使する難しいゲームをプレイするなども、ほどほどに済ますならばあるいは無駄にはならないだろう。




 以上は Tracy J. Shors in 「(別冊日経サイエンス) 脳科学のフロンティア 意識の謎 知能の謎」pp.44-52; August 2009 より抜粋、加筆、サマライズしたものです。

 個人の知能・認知力には本人の性格、精神状態、生まれ育ち、環境、加老、ストレス、食事や薬物摂取、職業、趣味、嗜好など、先天的・後天的な様々な要因が複雑に影響し合っているわけで、上の研究もそのことを裏付けているように思われます。
 特に人間の場合、後天的な要因はとても強いと思います。ここまで考えると個人の頭の良し悪しや知的能力を何で量り評価するかというのはどこまでも疑問だらけですが、知的好奇心に優れて日々新しい発見を楽しめるというのが何よりでしょう。
 しかし抗うつ薬で認知能力が向上するというのは意外です。今後の研究に注目したいところです。


この空しい日々に…




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 神の御業を見よ。
 神が曲げたものを、誰が直しえようか。
 順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ
 人が未来について無知であるようにと
 神はこの両者を併せつくられた、と。

 この空しい日々に
 わたしはすべてを見極めた。
 善人がその善のゆえに滅びることもあり
 悪人がその悪のゆえに長らえることもある。
 善人すぎるな、賢すぎるな
 どうして滅びてよかろう。
 悪事をすごすな、愚かすぎるな
 どうして時も来ないのに死んでよかろう。
 一つのことをつかむのはよいが
 ほかのことからも手を放してはいけない。
 神を畏れ敬えば
 どちらも成し遂げることができる。
 知恵は賢者を力づけて
 町にいる十人の権力者よりも強くする。
 善のみ行って罪を犯さないような人間は
  この地上にはいない。
 人の言うことをいちいち気にするな。
 そうすれば、僕がおまえを呪っても
  聞き流していられる。
 おまえ自身も何度となく他人を呪ったことを
  おまえの心はよく知っているはずだ。


 ―コヘレトの言葉 7章13〜22節




「ザ・バンク 堕ちた巨像」

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「ザ・バンク 堕ちた巨像」
以下AMAZONからあらすじ引用。

“世界の富裕層から莫大な資金が集まる、欧州を代表する巨大銀行IBBC。
しかし、その取引には、ある違法行為の疑いが・・・。
ニューヨークの検事局のエレノア・ホイットマンと共同で捜査に乗り出した、インターポール捜査官のルイ・サリンジャー。
ベルリン、リヨン、ルクセンブルク、ミラノ、ニューヨーク、そしてイスタンブールへ。
次々と消されていく証人や証拠に翻弄されながら、彼らの追跡は国境を越えていく。
世界屈指のその銀行の資金は、いったい何処から流れているのか。
核心に近づくたび断ち切られる、真相解明の糸口。
サリンジャーは、強大な権力をまとったメガバンクに、一人で立ち向かう決意をする。
そして、真実を暴くため、彼は法の粋さえ越えようとしていた。”

 

 古今東西、人間が競い争うものは金と権力、時々異性、と相場が決まっている。
 巨大銀行というものはこのうち金、すなわち負債を支配することで社会のあらゆるものに力を及ぼしえるものだ。世界中の国家権力者、企業権力者、紛争、戦争、独裁者たちが、資本的契約のもとに一つの大資本の影響下に入っているということはザラにあるだろう。たとえばロスチャイルドなんかは有名で、今もって世界の政治と経済、国家間バランスを影で操っているとさえ囁かれる。
 そんな強大な金融組織が陰謀的な巨悪を働いているとしたら、果たして生きて真実を暴ける者はいるだろうか、ましてや真実を暴き出して世を正すことなどできるだろうか。そもそもそこまでの正義を世の人は受け入れることができるだろうか。清濁併せ呑んでの世の中だと言っては、世の不公正や不条理に目を背け、犠牲者を突き放して生きているのが我々が現にしており、またこれからもし続けざるをえない生き方なのかもしれない。
 作中、各方面の権力者を抱え込んだ巨大銀行の悪事は「司法では決して裁くことはできない」と述べられる。私が法学部で学んだことは、司法というものはいい加減なものなのだということだ。殺人者が野放しになることもあれば、無実の人間が何年も牢屋に入れられることもある。政治的特権をもった人間は裁きにかけられることすらないし、国家の不正は「高度な政治的判断」などというちゃぶ台をひっくり返すような理屈で放置される。最近日本では栽培員というどこの馬の骨か知れない素人に司法判断を押し付けるグダグダな制度が始まったが、そんな制度でも一見問題なくできちゃう、司法というのはその程度のものだったのだ、ということを体制自らが証明しているようだ。
 そんなものであるから、強大な権力組織は邪魔者を殺しても裁かれないことになる。最近でもダイアナ妃の死やライブドアの野口英昭氏などを挙げるまでもなく、権力者の利害に関わる人物が不審な死を遂げることは至る所で起きている。その多くは裁かれることもなければ報道されることすらない。
 そんな殺伐とした世界が、実は我々の隣近所、果てには知人、友人、家族にまで存在しているかもしれない。どうやって自分の身を守ればいいか。それは結局のところ、自制しかないだろう。たとえば聖書の十戒を守るだけでも、金や権力や性にまつわるトラブルのリスクを大きく減ずることができるだろう。


 映画自体の感想。
 クライブ・オーウェンとナオミ・ワッツが出ているだけで、高品質は保障されたようなものでしょう。
 実際しっかり作りこまれた硬派なドラマという雰囲気に満ちています。
 大筋としては巨大銀行の雇った暗殺者との追跡劇が主軸となっている感じで、派手な銃撃戦もありーの、アクション・ドラマとして観ても満足できる作品です。


 8/10点

ナスビの時代 〜 日焼けは不健康の証 !?


 まず下の二つのポスターをごらん頂きたい。

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 昭和40(1965)年の資生堂ポスターである。

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 現在の資生堂ポスターである。

 化粧品の広告はその時代その社会の美の基準を容易に推し量るものさしとなる。
 日本大手の化粧品会社資生堂が打ち出した過去と現在の二つの美肌像、見比べて明らかな違いは何か。
 肌の色である。
 昨今は色白ブームだからというがそんな単純なものではなく、むしろ色黒ブームの過ちが医学上解明されてきたことが大きいのではないかと考える。
 一昔前まで、日焼けした小麦色の肌は健康美の代名詞の様に言われていた。黄金色に焼けた体育会系男子やサーファーが健康男子の鏡のようにもててきた。そして白い人はダサいやつ扱い、わたしのように青白き人は「ナスビ君」などと呼ばれて病人扱いであった。
 しかし、しかしだ!
 現代皮膚科学はそのような見解に否!を突きつける。
 
 色白=健康。日焼け肌=紫外線被爆して免疫の低下した不健康な人々。
 これが現代医学の常識となりつつある。

 なぜそうなるのか。
 簡単に説明してみよう。

 皮膚は成人で面積平均1.6?、重量は体重の16%を占める、人体で最大の臓器である。

skin

 上イメージは皮膚の平均的な構造となる。
 大きく表皮epidermis、真皮dermis、皮下組織subcutaneous tissueに分類される。

 表皮epidermisは人体の最外表を覆い、機能においても美容上においても重要である。
 その本質を一言で表すと、「死屍累々」である。
 表皮を形成する細胞はケラチノサイトと呼ばれるが、層状構造を形成しておりそれぞれの層において分化形態が異なる。真皮との境にある基底細胞は絶え間なく分裂増殖し、娘細胞を基底部に残しては次々と上層に向かって旅立っていく。基底層→有棘層→顆粒層→(透明層)→角層と、上層に行くにつれて分化成熟し、顆粒層で彼らは国家護持(人体防衛)の礎とならんと決意して自決(アポトーシス)する。これを角化という。
 するとこの顆粒層細胞内にはケラトヒアリン顆粒と層板顆粒という二つの顆粒がある。
 前者はケラチンという細胞の骨格部を束ねて特有のケラチンパターンを形成後角層上層で分解されてNMF(天然保湿成分)となって皮膚の保湿を助ける。後者は細胞死後放出されると内容物からセラミド、コレステロール、硫酸コレステロール、遊離脂肪酸といった脂質よりなる角質細胞間脂質を形成して角化細胞の周囲と間を包んで構造の接着や安定化、保湿に重要な役割を担う。
 さらに顆粒細胞内にそれまで生成されてきたインボルクリンとロリクリンという蛋白質があるのだが、細胞死の時活性化されるCaポンプにより流入してきたCaイオンにより酵素トランスグルタミナーゼが活性化されるとこれらが架橋され周辺帯を形成、角化細胞の細胞膜を強靭に裏打ちして不溶性の強固な構造にパワーアップさせる。
 これら周辺帯、角質細胞間脂質、そして毛穴から分泌される脂質の三つによって、われわれの皮膚は水を漏らさず通さず異物の侵入をしっかりとガードする機能的なバリアーを全身に隙間なく保有する。
 これがどれだけ大変なことか考えてみてほしい。たとえば層板顆粒内の脂質移動に関わるABCA12という遺伝子が欠損するだけでも道化師様魚鱗癬という大変な先天異常となって、多くは生後まもなく死んでしまう。層板顆粒が異常を起こすと角質細胞間脂質が築けず、皮膚は乾燥してひび割れ、代償性に角化は亢進し、それにつれて全身の形態が異常を生じてしまう。なぜ道化師と呼ばれるのか知りたい人は"harlequin ichthyosis"でググってみるとよい。
 表皮が死屍累々であることがお分かりいただけただろうか。世の中には「死ぬ気で守れ!」「あれを死守しろ!」とか軽々しく言う人がいるが、表皮細胞は日々死んでわれわれを守っているのである。

 さて表皮にはそんな細胞以外に、銃後を守る二種類の特殊部隊がいる。
 メラノサイトmelanocyteとランゲルハンス細胞Langerhans cellだ。二つともウネウネした細胞=樹状細胞であり、デスモゾームもヘミデスモゾームも有さない=周りのケラチノサイトとはつながりをもたず、遊走性である。
 メラノサイトは表皮の基底部に散在し、メラニンを充填したメラニン顆粒(メラノソーム)を作っては、そのウネウネした突起を通して周りのケラチノサイトに配給する。受け取った細胞はそのメラノソームを自らの核の上に集めてメラニンのヘルメット、核帽を形成する。メラニンはご存知のように色素であり、紫外線を吸収する。表皮の細胞はこうして自分のDNA、ひいては全身を紫外線から守る。ちなみに人種で色が違うのはメラノサイトが産生するメラノソームの数とサイズのデフォルトが異なることによる。細胞自体の数や分布は人類皆同じである。
 ランゲルハンス細胞はメラノサイトに似てウネウネであるが、彼らの場合もう少し表層(有棘層上層)まで出動している。彼らの役目は表皮に侵入してきた異物(抗原)をひっとらえて中枢の警察情報機関(ヘルパーTリンパ球)に突き出すことにある。最前線の哨戒隊である。

langerhans
↑ランちゃん

 話を日焼けの話に戻そう。
 メラニン細胞は日光紫外線に暴露されると活性化される。これが日焼けの本態だ。
 一方、ランゲルハンス細胞は日光紫外線に暴露されると活動が抑制され、数も減少する。
 前者がいくら活発化しようとも、メラニンはあくまで受動的な防衛機構である。
 後者は積極的な免疫機構で、これが抑制されると健康度は結果的にマイナスである。
 ゆえに日焼けは健康に悪い。

 それだけではない、紫外線は日光角化症のような前癌病変、果てには有棘細胞癌SCCのような極めて重篤な皮膚癌の原因となる。
 ゆえに日焼けは持続的な健康度を下げるだけでなく、突発的な病気のリスクを増大させる。
 さらに局所的なダメージや色素沈着が亢進して、美容上も失うものが大きくなる。

 お分かりいただけただろうか。
 「日焼けはやっぱり不健康」という医学上のパラダイムシフトに、化粧品業界が歩調をあわせるようにしているのは好ましいことだ。

 しかし日光に当たることはすべて悪いというわけではない。
 むしろ人間は日光に当たらないと正常な機能を損なう。
 まず正常な既日リズムの形成・修正に必要である。
 また皮膚で合成されるビタミンDなどは合成過程で紫外線を必要とする。しかしこれ実は5分間しっかり当たれば十分な話だというし、内服でもまかなえる。これはやはり日に焼けるべき理由にはならない。
 それでも一日30分程度は日に当たったほうがいいと個人的に考える。
 なぜか。思うに、大要光線には未だ定義されぬ機序で健康上のメリットがある場合がある。たとえば緩徐な免疫抑制による、皮膚過敏性の調整だ。というのも、皮膚疾患にはかなりの割合で自己免疫異常やアレルギー性のものが含まれる。すなわち免疫がとち狂って友軍誤射したり、異常に対して過剰に反応し乱射することで自分の体を破壊するような事態だ。
 あるいは紫外線にある程度日常的に暴露して緩徐に免疫を落ち着かせることで、こうした疾患が予防されたり軽減されたりということがあるかもしれない。現にそうした自己免疫性の疾患治療は免疫抑制が先決であり、ステロイド、紫外線照射、さらには光毒性のあるソラレンを外用/内服後に紫外線照射(PUVA療法)というメニューが大体標準的に施行される。無論日光紫外線がこうした治療に代わるものとは決して言わない。一方で、たとえば乾癬(かんせん)という全身の皮膚に紅斑ができて銀白色の鱗屑がぼろぼろと剥げ落ちる原因不明の病気があるが、これは日光浴によって症状が改善するし、現に医療においてもそれが推奨される。(ただしやりすぎて日焼けすると逆効果。Kobner現象)

 結論。
 日に焼けるということは基本的に健康に悪いことである。
 戸外時間の長い人は紫外線対策を心がけるべきである。 
 それでも30分くらいはお日様の光を浴びておこう。
 ナスビ君もまんざらではない。




「ズッコケ」の病理 !?



 「ズッコケ」というと、お笑いではボケ、喜劇ではオチに対応して周りの人が一同に、時に激しく脱力してみせるアレである。われわれ日本人にとってはこの仕草はごく日常のコミュニケーションにも見られる違和感のないものだ。しかし日本以外の国からみたら、コメディとしても少々オーバーアクションに過ぎるのではないかという気がするし、そもそもどうしてこのような表現が社会に定着していったのか、よく考えてみると不思議なものだ。内科の勉強をしていると、この「ズッコケ」なるものはカタプレキシーcataplexyを伴うナルコレプシーnarcolepsyという疾患と関係があるのではないかと思うにいたった。

 ナルコレプシーとは日中の抗しがたい睡眠発作、感情の昂ぶりに脱力発作を伴う疾患だ。特に、大笑いしたり驚いたりすると全身の筋緊張がとれ脱力する症状をカタプレキシーと呼ぶ。これには膝の力が抜け落ちる膝つき発作や、顎や首の力が抜ける頭部落下発作などが見られる。誘引は感情の昂ぶりであり、笑いや驚き以外にも、喜怒哀楽あらゆる情動の起伏で起こり得る。気の毒である。
 この疾患を持つ人たちは正常時は神経症候学的にも全く異常が見られず、ただ睡眠調節と関与するとされる青斑核や縫線核とネットワークを結ぶ視床下部神経細胞のヒポクレチンhypocretin(オレキシン)受容体の発現異常(消失)および覚醒持続を司る脳内ヒポクレチンの枯渇が原因と推測される、機能性の神経疾患とされる。
 ナルコレプシー患者中のおよそ半数がカタプレキシーを伴っていると推測されている。

 カタプレキシー発作とはどのようなものか、百聞は一見にしかず、↓のyoutube動画で見てもらいたい。みんなでふざけてザック君を笑わせ、発作を起こさせている。倒れて頭など打ったりして危ないため、よい子は決してマネしてはいけない。




 実はこの疾患の頻度は高く、人口10万人に50〜67人、実に2000人に1人の割合で発症し、日本人に特に多い傾向があるという。
 昔の人たちは、このカタプレキシー発作を目の当たりした時どう思っただろうか。軽症例の場合、それが器質的な病気であるとは思わなかったのではないだろうか。なにしろその患者は発作中も意識がハッキリしていることが多く、普段はそれなりに正常に生活できるのだ。とすると、この目の前で笑ったり驚いたりして、ものすごい勢いで脱力している人は、それだけものすごくバカウケしている、ビックリしているのだろう。なるほど、人間ってものすごく笑ったり驚いたりしたらこんなことになっちゃうのか!…と考えたのではないだろうか。
 かくして、笑いや驚きに反応する一過性の全身筋緊張低下というカタプレキシー症状が、日本ではあるいは人間の普遍的な性質であると理解され、模倣される一つのコミュケーション動作、即ち「ズッコケ」として社会的文化的に解釈されてきた、というのが事の真相であり得るかもしれない。

 ちなみにナルコレプシーには他にも睡眠麻痺と就眠幻覚という症状が観察されることがある。前者は主に就眠時、あるいは覚醒時に数秒間金縛り状態となるもので、後者は就眠時のカラフルで鮮明な幻視が多いという。
 これも疾患の自覚のない人が体験したらまさに心霊現象というものではないだろうか。


・治療法
 2〜3回/日に10分前後の昼寝を心がける。夜間睡眠充実のため睡眠薬も可。
 朝、昼の覚せい剤および類似物質(リタリンなど)服用。
 脱力発作には三環形抗うつ薬イミプラミンで対処することも考慮。



・CNNナルコレプシー特集↓






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